サイリュウムというものがある。ケミカルライト、ルミカとも呼ぶようだがポキッと折ると光りだすあれだ。
 コンサート、特にアイドルのコンサートなで買ったり配られたりして会場を美しく彩る演出に使われる。
 このサイリュウム、僕がコンサートで音楽に合わせて振るのはちょっと恥ずかしいが、綺麗だと思うし、確かに盛り上がる。
 普段はメディアを通してしか接する事のない歌手と同じ空間にいて同じ空気を吸っている状況はその歌手が好きであればあるほど興奮するものらしい。
 いや、僕だってポールマッカートニーが来日したとき、たとえそのLIVE会場が東京ドームであろうとも、同じ空間に生きる伝説、偉大な存在、幼少の時から影響を受けまくったポールマッカートニーその人にいることに興奮した。
 そして大声で「ポール!」と叫んだ。
 そう、ただのファンになると好きなアーティスト本人に何とかして自分を認識されたい、そういう気持ちになるものだ。
 すごく本人と客席が離れていたって「目が合った」と喜んでいる人がいる。
 「手を振ってくれた」と感激している人がいる。
 サイリュウムというものもコンサートにおいては「自分を認識してもらうツール」になっている。
 自分がサイリュウムを振るとアーティストや歌手がそれを見て「キレイ」「美しい」と盛り上がってくれてさらにいい演奏をしてくれる。自分の行動が自分の好きなあの人に影響を与えた!つながった!という事なのだろう。

 最近、コンピューター制御で光る色をコントロールできるサイリウムが開発され、コンサートで使われるようになっている。
 サイリウムの色を変化させる事によってより演出効果を高めるものだ。
 僕はまだそのサイリウムを使ったコンサートに行ってそれを体験した事が無いが、海外ではコールドプレイが使ったり、日本でもB’zが使ったりしているようだ。
 このサイリウムの存在を知ったときにある懸念を感じた。
 サイリウムをアーティストに対して振る行動というのはなんとかして自分の存在を届けたいという気持ちの表れだ。
 なのにそのサイリウムの色や光が点いたり消えたりするのを他社にコントロールされるのって気分悪く無いだろうか。
 どんなにそれが何万人のうちのひとりでも、どんなにそれが小さい灯りであっても自分で選んだサイリウムを自分が振ってコンサートに参加する行為は自主的な行為だ。
 その行為を他社にコントロールされることには若干の抵抗を覚える。
 なにかファン心理の大切な部分に踏み込んでしまっている気がするのだ。
 久しぶりにうなぎを食った。
 土用のうなぎの時期を過ぎ、ずっと食べたいと思っていたが休みの日曜に食べに行く事が出来た。当日近所のうなぎ屋に電話して7時に予約しようとすると混んでいるので8時半ではないと難しいという。ほお、そんなに混んでいるのか。
 日本人にとってのごちそうはいくつかあるが、うなぎはその一つだろう。最近では牛丼チェーン店でうな丼がメニューに並んだりしているが、牛丼に較べてかなり値段は高い。 
 うなぎはやっぱりそれなりの値段がしないと信用出来ないもんな。
 そう、その信用だが、代用食品というのが存在するが、うなぎもそれの例外ではない。
 「うなぎ」「にせ」と入れてネットで検索すると出てくる出てくる。にせうなぎのレシピが。
 そこまでしてもうなぎを食べたいという気持ちが押さえ難いのか、豆腐や山芋を使った「うなぎもどき」の作り方からなす、ちくわ、はんぺんで代用する方法まで。
 そこまでするなら金貯めて本物食べればいいじゃんと思うほど凝っている。
 テレビ番組でも「なんちゃってうなぎ選手権」とかやってることも出てくる。
 面白すぎる。
 偽物というとネガティブな印象が強いが、こうして考えると高級品の「もどき」を作る技術には日本文化のこだわりや繊細さを感じることができる。
 「まなぶ」という日本語も「真似ぶ」から来ていることから考えても、真似して「もどき」を作るところからスタートしてオリジナルに至るプロセスを感じさせる。
 会社に入った頃教わったことに「イミテーション、バリエーション、クリエーション」というのがある。
 これはモノ作りはまず真似をするところから始め、そこに応用を加えて最後にオリジナルに至るということを言い表したものだ。
 うなぎをはじめとする日本の「もどき」にも単なる真似に終わらずオリジナルに至るレベルの高さを感じる。
 こうした思考プロセスにこそ日本が世界に誇れるものかもしれない、などと考えながら久しぶりのうな重を楽しんだのでした。
 
  ACジャパンの「イイトコメガネ」というキャンペーンCMがある。
 『大人になると、人の悪いところばかり目につきがち。でも、良いところを見ようとちょっと意識するだけで、見逃していた良いところってたくさんあるはずです。(中略)だから、子どもたちには小さいときから、人のいいところを見るようになってほしい!そんな思いから生まれた企画です。』(ACジャパンのホームページより引用)
 僕はこういうものを目にするすぐ揶揄したくなる。
 だって『大人になると・・』っていうところからして、現状肯定じゃん。むしろ大人にこそ「イイトコメガネ」をかけて欲しい。
 会社の上司にも是非かけて欲しい。使えない部下にも優しい一面が会ったりするかも知れないし、すぐミスをする部下は誠心誠意謝る誠実な一面があったりするかも知れない。
 でもそれはあり得ない。なぜかと言えば仕事は結果だから。利益を出して行くという目的に向かって企業であれば運営されているのだからして、その人が如何に「いい人、優しい人」であっても商売の役に立たなきゃ使えないヤツです。ハイ。そこに人間の葛藤があるわけじゃないですか。
 それを『だから、子どもたちには小さいときから・・・』と子どもに大人ができないことを押しつけているようにしか見えない。
 人間は必死に生きているのだから「人の悪いところ」を如何に早く発見してそれに対処して行くかが逞しく生きるポイントだ。だから「イイトコメガネ」なんかかけてたらこの先食って行けないかも知れない。
 こういうキャンペーンのキレイごとな感じが僕は腹が立つとは言わない、ちょっと引っかかる。
 だから、きっと僕はこれを自分がディレクターだったらラジオ番組のネタコーナーにするだろうな。
 「イイトコメガネをかけて安倍総理を見てみよう!やっぱりアメリカが怖いからTPPには入るんだね!~♪イイトコメガネ♪」
 「イイトコメガネをかけて麻生太郎副総理を見てみよう!ナチス発言して批判されたら謝って発言を取り消したよ、えらいね!麻生クン!~♪イイトコメガネ♪」
 
 最近NHKの「あまちゃん」が話題だけれど、脚本の宮藤官九郎さんはこういう感じで完全にNHKを揶揄しているようなにしか見えないのは僕だけ?