「運気が上がる」とある占い師に言われた。
 「今年の誕生日から数年間、とても運気がいいですよ。」と言われた。
 単純に嬉しい。
 でも「運気が上がる」とか「運勢がいい」とはどういうことなんだろうか?
 僕はサラリーマンだ。
 この僕にすごい金額のお金が入ってくることはまずない。
 僕がミュージシャンとか小説家だったりすればヒット作品が出て儲かったりするのかも知れない。
 何か業務で調子良く成功したからといって査定が多少上がることはあっても爆発的な収入になることは無い。
 出世するのか?いや、サラリーマンなんで2階級特進なんてこともないし、出世してもそれほど収入がアップすることは無いだろう。
 では「運気がいい」とどんなことが起こるのだろうか。今の自分には想像出来ない。
 その占い師には「一生住める城を建てるくらいの運気ですよ」と言われた。
 もちろんさらに嬉しいが、「城を建てるって???」と言う気分になる。
 例えばチェリッシュが「てんとう虫のサンバ」をヒットさせたことは「一生住める城を建てた」のかもしれない。そういう例ならすぐ浮かぶ。甲斐バンドが「HERO」と「安奈」をヒットさせたようなものか。なるほど。
 でも僕がどんなヒットを生むというのだろうか。
 例えば僕が仕事のラジオ番組の制作者としてヒット番組を作ったとしたらどうであろうか?
 やっぱり所詮サラリーマンの悲しさよ。何か爆発的に収入が増えることもやはり無いし、それで食って行くにはあまりにラジオ業界の景気はよくない。
 
 一体どうしたもんだか。
 「運気がいい」ことによって引き起こされるの具体的な現象の事例が浮かばない。
 じゃあ、「幸せ」にフォーカスしてみる。
 「運気がいい」とは「もっと幸せになる」なんだろうか?
 いや、今でも十分幸せな人生を送ってきているので、これ以上何かを望むかと言えば思い浮かばない。子供がいないから子供を持つことなのか?でも今この年齢(47歳もうすぐ48歳)で子供を持ったら定年後も働かなくてはいかなくてむしろ不幸になるんじゃなかろうかと思う。
 
 ああ、わからん。「運気がいい」って何だろう。
 そんなことを考えていられるのはさっきも書いたように「幸せ」だということかも知れない。
 僕は毎日平穏暮らしてちょっと仕事終わりに一杯飲んで友人達と語り合う・・・そんな日々が大好きだ。運気がよくなるということがそんな日々が一日でも続く礎ができることなのだとすれば大歓迎ではあるのだが。
 でも書きます(笑)。
 僕はへそ曲がりなんで、世の中が騒ぐとそこから離れたくなるところがあります。
 でも昨晩はすっかり生で開催地決定までの流れをラジオとテレビでしっかりフォローしました。
 でもこういう時は各局の対応に差が出ます。他人事の様ですが、それに気づいて反省するわけで。
 僕のホームグラウンドであるニッポン放送でも特番をやっていました。パーソナリティは大先輩のくり万太郎さん。僕が子どもの頃に夜帯の番組パーソナリティとして絶大な人気を誇った方です。
 この人のオールナイトニッポンを聞けるのは久しぶりでした。
 くり万さんと来たらぶっちゃけどこでオリンピックをやろうが本当は関係ないと思っている感じが何ともよかった。だって世の中の人がみんなオリンピックを東京で!とか言っていると何となく反対したくなるってもんです。
 そういう天の邪鬼感覚が端々に出た番組でした。でもそれがラジオらしいと僕は思ったのですが。
 だってそうじゃないですか?オリンピックなんて遠くにありて思うもの。ワールドカップのときもそうでしたが、人は溢れるし渋滞はするし、何かお祭り騒ぎが何とも迷惑に感じられたことは否めません。
 東京に来たから何だって言うのだろう?僕自身もお祭り騒ぎにワクワクする気持ちはあります。
 でもそれで経済が景気が、という話になるとこれも政治、経済施策、世界経済のというフレームの中である種のロールを演じさせられているようにも感じます。
 そして、他の方達も言っていることですが、その前にやることがあるだろうよ、福島の汚染水!って感じでもあるわけで。
 必死でやろうよ、まず足下から。
 このままじゃ本当に魚が食べられなくなってしまう。
 いや、もう食べていない人を相当数知っている。
 風評だとか安全だとか言う議論はある。でもそれは別次元の話。ほとんどの人が今度こそ身の危険を感じ、やり場のない締めの気持ちを持ったはず。
 現場は大変だと思うけど、一私企業のに任せておくのはどうなんでしょう?だから必死で政府も一丸となって取り組んで欲しい。
 オリンピックはその上での話。
 なんかオリンピックが決まったとか騒いで、大切な目の前の大問題、課題から目を逸らされているいるような気がして仕方が無いんだよね。
 だからオリンピックのことを必要以上に話題にしたく無いんだよな。
 あるビストロのシェフが言っていたこと。
 「ワインを選ぶときによく『フルーティなものを』という人がいるけど、それは言っちゃいけませんぜ。だってワインは葡萄が原料なんですから全部がフルーティなんです。」
 なるほど。「フルーティなのお願いします」っていうとソムリエは心の中で「知ったかぶりのお客キター!」と吹き出しているのかもしれないし、「全部フルーティだよ!」ってツッコんでいるかもしれない。
 ではなんて言えばいいんだろう。
 「次にお客さんに言われるのが『重いのお願いします』か『軽いのお願いします』なんです。」
 うわ、それいつも言ってた。「重い」「軽い」は一つのパターンなのだそうで、あまりソムリエの能力は発揮されないというのだ。
 じゃあ素人が頼むときにどうやって頼むがいいの?と聞いてみた。
 「立体的な表現がいいんじゃないですかね?」
 立体的って?
 「『奥ゆきがある』とか『広がりを感じる」とかですかね」
 なるほど、でもそれって自分でも何言ってるかわからないよ。
 「それでいいんですよ。そういう抽象的な表現をされると『出来るな』と思われますよ」
 そういうものかな。ワインというのは確かにオーダーするのは緊張する。
 僕も何となく緊張しないで頼めるようになったのは30過ぎてから。それまではワインの美味しい、不味いも全くわからなかった。
 結局は「おいしいやつください」ということなんだが値段はバラバラだし安いの頼むと足下見られそうだし、かといって知ったかぶりしてそれがバレると恥ずかしいし、ワインを頼むときは心の中で自尊心と見栄と欲望がいつも葛藤している。
 考えてみるとソムリエにしてみればなるべくお客の要望通りに、そして期待をさらに上回るワインを選んで出そうと考えるわけだから、お客の要望は出来る限り高いほうがいいのかも知れない。
 そしてそれはある意味ハイソな遊びなのかもしれない。
 僕はワインを飲むようになって少しづつブドウの種類を憶えたり、これがボルドー、これがブルゴーニュなんて産地のことを勉強したりしたが、世界中のワインがあまりにも種類が多いのでこれはちょっと憶えきれないなと感じ、「だからソムリエっているんだ」と改めて気づいた。

 有名なワイン漫画「神の雫」の原作者の亜樹直さんが、このフランスでもヒットしているこの漫画のことを思いついたのは、自分でワインを飲むときにテイスティングしながら「モネの水彩画が見えるような・・・」とか「まるで平安の女御たちが・・・」と言い合いながら遊んでいたのがきっかけだと言う。
 仲間とそんな表現を楽しんでいるうちに「これは漫画になるんじゃないか」と思ったのだそうだ。
 すごく本質的な話のように感じる。
 表現者である亜樹直さんの「遊び」は長いワインの歴史の中に織りなされた文化の本質を突いているのだと思う。
 元々飲食は楽しむためにあるのだからワインを楽しむ、楽しみきることが何よりも大切なことなのではないかと思う。
 僕も飲みたいワインの表現を楽しめるようになりたいが、現実には「アルプスを吹き抜ける風のようなワインください」みたいな事は恥ずかしくて言えない僕なのだ。