先日、昼間に東京に進出して話題になっている関西のカレーチェーンにカレーを食べに行った。
 昨晩は職場の送別会的な宴会があり、焼肉とビールからのジンロへの流れで朝起きると「息が焼肉臭い」と言われチェックしてみると確かに臭う。
 歯を磨いたり、うがい薬でうがいをしても息の臭いが消えないので、これは胃の問題だなと思い、取りあえず何も食べずにお茶を飲んで胃を休めることに務めた。
 そのあとは整体に行く予定があり、その帰りにふとそんな朝の出来事を忘れてカレーを食べてしまったのだった。しかもカツカレー。
 食べてから30分からイヤ~な感じで胸焼けがしてきた。
 そう、ある時期から脂っこいものを食べると胸焼けがするようになっているのだ。
 会社のそばに若い頃から食べているカレー屋があるが、あんなに何度も食べているカレーなのにある時期から胸焼けするようになった。そんなこともあったので少し気にかけてはいたのだが、飲んだ翌日はやはり刺激物を欲する。その欲望に負けてしまったのだ。
 段々胸焼けがきつくなって来た。

 胸焼けには昔からなじみはあるが一体なんで我々は胸焼けするんだろうか。
 胸焼けの解消法を調べてみた。『加齢や体調によって胃が弱り、胃の運動も低下しています。』と出てきた。げ、加齢か。
 『加齢や体調などの影響で、食べものを消化するのに必要な蠕動運動が弱ってしまうと食べたものの消化が進まず、なかなか十二指腸へ送られません。こうした場合、食べたものを消化するために胃酸がいつまでも分泌されることになり、その結果、胸焼けなどの不快症状が起こります。』
 なるほど。じゃあどうすればいいのか。
 『胃運動機能改善(整胃)剤』、要するに薬を服用するのがいいようだ。
 あまり胃を疲れさせるようなものの食べ方は避けた方が良いのだろう。
 取りあえずその日からお酒を止めてみた。今日が3日目。体調がすごぶる良い。
 お腹の調子もいいし。
 酒を飲んだ翌日のみそ汁が胃袋に沁み渡る感じも好きなんだけれど、それは決して胃にとってはいいことではなかったのだな。
 このままお酒を飲まないでいられるかというと、それはなかなか難しい。
 ビールの代わりになるものは何とかなるにしても、日本酒とワインの代わりになる飲み物は無い、というのが僕の持論だ。
 結局はいずれ飲んでしまうだろう。
 ポイントは酒を飲む量と休肝日をどれくらい作れるかのバランスの問題だ。
 でもわかっているけど止められないのが酒。
 要するにそれをほどよくこなす精神力があれば、そもそも調子悪くなってないよな。
 ああ、アルコールの誘惑よ。どうしてくれようか。
 
 仕事をしていて全ては想像力であると思う。
 手帳に今週の予定を書き込んでスケジュールを管理することも想像力が必要だし、実際に何か仕事で実作業をするときにもその結果どうなるかということを想像しているわけだし。
 何か新しいものを発明するときだって、そういうものがあったらいいな、と想像出来なければ始まらない。
 空を飛べたらいいな、とか宇宙旅行がしたいな、という欲望を実現するためにどうしたらいいかを想像しなければ飛行機も宇宙ロケットも出来なかっただろうし。
 一時期「引き寄せの法則」というのが流行った。なりたい自分になりきればそれは現実になるという法則だった。だからお金持ちになりたいならば、まるでお金持ちのように振る舞えと、例えばお金に余裕があるかのごとく寄付したり、誰かのためにお金を使うといつかお金が入ってくる、みたいなことだった。もちろんお金持ちぶるのにもお金は必要なんだけれど。
 でもそう考えるとアップダウンの激しい人生を送っている人、事業に失敗してもそれを跳ね返すようにまた成功したりしている人というのはその「お金持ちぶる」ことを常にしているから失敗もするけれど成功もするのかも知れない。
 最初っから貧乏が身に付いている人は金持ちになりたいなんで欲も無いからね。
 この引き寄せの法則もどれくらいリアルに想像できるか、妄想できるかというところが勝負であるように思える。
 
 今から15年前くらいに仲が良かった友人にIT関係者が何人かいた。その頃はまだ今ほど映像の伝送技術が高くなく、パソコンを電話線につないでインターネットを利用していた時代だ。一枚の写真をダウンロードするのに何分も待たなくてならなかった。
 その頃のよく話していた話題はふたつ。ポータルサイトはどこが勝つのかという話題。そしてもうひとつはPCは最終的にどんなデバイスに進化するのか、だった。
 当時はyahooがポータルサイトとして強く、まだgoogleはまだ有名ではなく、yahoo以外にもポータルの覇権を狙うサイトが続々と登場していた頃だ。
 結局、今のとなってはそのgoogleの先にtwitterやFaceBookが出てきている時代だ。
 そしてもうひとつの話題はPCは最終的にどんなデバイスになるのかについては、小型化するのは当然だけれど、最終的にはそろばんくらいの大きさになって、その頃にパソコンで出来る事は全部出来るものに進化するのではないかと言っていた。
 今から15年前に現在のiPadやiPhoneのイメージはあったのだ。後はそれをどういうかたちで実現するかだった。
 想像する事ができればそれは必ず実現する。僕はそう思っている。
 20世紀に生まれた僕が子どもの頃に想像していた21世紀にはテレビ電話があり、自動運転の電気自動車があり、地球の裏側や宇宙と自由に交信が出来る世界だった。
 そしてそれはよく考えると全て実現しているのだ。
 今はどんな想像をしているだろうか。
 宇宙を旅行する時代もすぐそこまで来ている。宇宙戦艦ヤマトがイスカンダルまで取りにいった放射能除去装置が本当に必要な時代も残念ながら来てしまった。
 しかし、想像したものが全て実現するならば放射能除去装置も絶対に実現するのだと今、僕は信じている。
 想像力。
 すごく大切なことだと感じている。
 
 
 
 今年の話題をそろそろ振り返る時期に入ってきた。
 今日のラジオ通販ではおせち料理を扱っていたし、年末モード、まとめモードに気分もなりつつある。
 今年を代表するもの。「あまちゃん」の大ヒット、「進撃の巨人」、「半沢直樹」といったところがエンターテインメントの世界としては挙がるだろう。
 告白します。僕はどれひとつハマってません。
 「あまちゃん」については週末のまとめて放送しているのを数回見ただけで、番組ゲストに来てくれた古田新太さんから聞いたエピソードが僕の「あまちゃん」知識の全てだ。
 飲み会の席で「あまちゃん」の話題になってもニコニコしながらやり過ごしていた。
 エンターテインメントを職業にしている仕事柄、何となく「見てない」といいにくく、「知ったかぶり」をしてきた。
 「半沢直樹」にしてもそうだ。「半沢直樹」は第1回しか見ていない。もちろん面白かったのだけれどその後が続かない。なのに、番組では「半沢直樹」をもじった企画をやったりしていた。
 「進撃の巨人」はネットテレビで無料公開しているアニメの第1回を見ただけ。あとはWikipediaの知識のみ。
 正直ダメだなあと思う。
 エンターテインメントの仕事の基本は「やじうま根性」と「好奇心」。流行っているものは見てやろう、聞いてやろうという気持ちを持つ事が重要、って後輩には語っていたりする。
 これまでも努力してそうした態度で生活をしようとしていたものの、僕はどうしてもゲームにハマることが出来なかったし、漫画もいつの間にかあまり読まなくなってしまった。
 子どもの頃は少ないお小遣いでそれなりにインベーダーゲーム(古い!)にもハマったし、毎週漫画雑誌を買ったり、借りたりして全部読んでいた時代もある。
 やっぱり年齢なりに感性が変化したからだろうか。でも「あまちゃん」にハマるのに年齢はあまり関係ないし、必ずしもヒットは若者のものばかりではない。
 
 あるディレクターが言っていた。
 「『あまちゃん』が流行っているっていいますけど、僕のまわりには一人も見ている人がいないんです。本当に流行っているんですかね?」
 もちろん、それなりの視聴率も取ったし、関連商品も発売され、それなりの成果も納めていると聞く。今年の紅白歌合戦はきっと「あまちゃん」が重要な要素になるとも予想されている。
 でも、そのディレクターに言われてからよく考えてみると、僕の友人たちにも「あまちゃん」にハマっている人はいなかった。「進撃の巨人」「半沢直樹」にしても同様だ。エンターテインメントに関わっている私の妻にしても全く見ていなかった。
 結局人間って身の回りの人間にすごく影響されるってことなのでは無いかと思う。
 インターネットの登場、発達によってテレビ、ラジオといったメディアの影響力が相対的に弱まっている今の時代、一番信頼出来るニュースソースは身の回りの情報だという事かも知れない。
 僕はここ数年、仕事であるラジオ番組の制作においてはニュース情報番組に携わってきた。
 僕自身の身近の話題とは参議院選挙であり、尖閣、竹島をめぐる日中韓の関係であり、日本維新の会であり、安倍晋三であり・・・。
 よく番組で会うジャーナリストから聞いた話に影響されて本を読んだり、調べたりしている。
 「進撃の巨人」にしても番組に来ていただいた国土強靭化計画の中心的人物、藤井聡さんが最近興味があるものとして挙げていたので興味をもったのだった。

 よく言われることだが、かつてはテレビから流れてくる情報が流行に対しては決定的な役割を果たしていた。だから国民的流行が生まれ、それが時代を作っていたと言える。
 でも、今は趣味が多様化しメディアの影響力も相対的に低下。結果としてやはり口コミ的な情報、身の回りの人の情報が個人の行動の大きな決定要因にますますなっているのだろう。
 水面から見えるところにいる魚を獲るのとは違って、深海魚を獲ろうと思ったらそれだけ水深の深いところまで潜らなければ取れないように、今世の中の流行も深海に潜ってしまったかのようだ。
 でもその場所に確実にいる。そんな魚を獲るために日夜努力しているのである。