ゆるキャラ流行りである。
 この「ゆるキャラ」という言葉。記憶の限りではみうらじゅんさんの「ゆるキャラ大図鑑」から始まっていると記憶しているが、当時の「ゆるキャラ」という呼称にはちょっと笑いのニュアンスがあった。
 「おいおい、こんなの作っちゃってどうするの?」という地方公共団体や企業の広報の人たちが真剣に一生懸命考えてしまったが故に出来上がるヘンテコなマスコットキャラクターを愛情を持って笑うニュアンスが「ゆるキャラ」という呼称に込められていた。
 ニャンまげ、ひこにゃん、せんとくん・・・いろいろ生まれてきた。
 みうらじゅんさんが考案しただけに、そこにあるサブカルな臭い、どこか人を食ったような視点がわざわざマスコットキャラクターを「ゆるい」と言わしめたのだろう。
 しかしその後小山薫堂さんが生みの親でもある「くまモン」のようなキャラクターが出てからちょっとニュアンスが変わってきた。それまではプロではない人たちが一生懸命考えるが故に出来上がる「ダサい」感じがゆるキャラの魅力だったが、小山薫堂さんは「プロ」である。そしてその小山さんらしく、くまモンには無駄が無くスマート、僕自身はクマもんには既にゆるキャラとは言えないクオリティを感じている。
 こうしてサブカル的なものがメジャーになって行き、洗練されるとともに最初に持っていたテイストは失われて行くのだということには残念さを感じていた。
 そこに彗星のごとく登場したのがふなっしーだ。
 そもそも「非公認キャラクター」というところがすごい。
 これまでのゆるキャラはマジメなサラリーマンが仕事として、一生懸命郷土や企業やイベントをアピールするために作ったものだった。ということは言うまでもなく「公認」であることが設定のスタートである。そこに「非公認」が出てきたのだから恐れ入る。
 発案者は船橋市にプレゼンしたが認めてもらえなかったとも聞くが、今となってはそれさえもネタ作りなのか?と思わされる。
 ふなっしーは「非公認」である自分の設定をアピールすることにより、ゆるキャラの面白さの原点に立ち返らせてくれた。
 「虚言癖があり、言っていることの27.4%が嘘」とか、「ハードロック・ヘヴィメタルを好んでおり、初めて買ったCDはディープ・パープルの『マシン・ヘッド』、好きな歌手はオジー・オズボーン」など公認のマスコットキャラクターではあり得ない設定のオンパレードだ。終いにはCDデビューまでしてしまった。
 今年大ヒットした「あまちゃん」にも言えるのだが、元来サブカルの世界の宮藤官九郎さんが放送業界の王道であるNHKで朝ドラを担当し、冗談が通じないような世界を相手に一流のギャグをかましまくるそのスタイルを通す。潮騒のメモリーの歌詞をよく読むととんでもない歌詞である。それをサラッと書いてNHKでオンエアしてしまう宮藤官九郎さんの巧みな手法がヒットの理由だと僕は考えているのだが、それと同じものをふなっしーにも感じる。
 新しいものは周縁からやってくる。「センター・ペリフェリー」である。
 マジメに仕事しているだけでは新しい何かは生まれない、ということをゆるキャラブーム、そしてふなっしーから学ぶのである。
 
 先日あるオタク系漫画家と話をする機会があった。
 僕自身、近年はニュース情報番組関連の仕事に関わることが多かったので現在のオタク事情についてはあまり詳しくなく、アニメやゲームについても苦手な訳ではないが、あまり最近の作品をフォローしている訳ではないのが現状だ。
 先日もふと暇な時間に久しぶりにゲームセンターに入ってみた。飲んだ帰りに酔った勢いで入りUFOキャッチャーや太鼓の達人をやったことはあるが、昼間にゲームセンターに入ったのは恐らく10年以上ぶりだった。
 何かを試しにやってみようと思ったのだが、驚いたことに施設のハジからハジまで見て歩いても自分が出来そうなゲームがひとつもない。観察するとシューティング系、格闘系、麻雀系、カード系と大きく分かれるようだ。しかしゲームセンターでカードゲームって・・なんかデジタルなのにアナログでよくわからん。結局何のゲームもせずに撤退してきたくらいだ。
 話を元に戻すと、そのオタク系漫画家と一体何を話したらいいのかわからず、いろいろ浅い知識を総動員して会話を始めたのだが、ふと素朴な疑問をぶつけてみた。
 「何をもってオタクはオタクって言えるんだろう?」
 すると彼女は「ゲームをやっているだけではオタクとは言えないんです。」と話し始めた。
 「ゲームをやっていてそのゲームの世界の設定から新しい物語を思いついたり、最終回を迎えた漫画の続きを思いついて描いてしまうの人をオタクというんだと思うんですよ」と説明してくれた。
 おお、そういう事か!。納得した。
 そしてもうオッサンになったんで若い子のことはよくわからん、というモードに入っていた僕にもわかる話題になってきた。
 昔ギタリストのCharさんとお話をする機会があったときに、Charさんが自分の息子について語ったことを思い出した。
 Charさんの息子はRIZEというバンドのギターボーカルのJESSEだが、彼が幼い時ゲームばかりやっていたのだそうだ。母親はそれを見て口うるさく怒っていたが、CharさんはJESSEに才能があるならいつかはゲームに飽きる、そして本物のゲーム好きなら自分で新しいゲームを考えるようになるはずだ、と言っていたそうだ。そしてJESSIEはゲームに飽きギターを弾き出したのだと言う。
 僕がゲームがあまり好きではない。なぜかというと人が作った世界の中で遊ぶ事が癪に障るのだ。
 どこか僕自身子どもの頃から自分の中に「モノを作りたい」という欲望があり、どこか人の真似をするのが嫌だったところがある。
 だからゲームが発達してロールプレイングゲームが登場したときに、そのゲームを作った人たちにリスペクトはあるものの、その世界観の中で自分がプレイする事に納得がいかなかった。
 仕事柄ゲームを扱わなければいけないこともあり、ゲームをやりたくない気持ちとゲームのことを知らなければいけない気持ちが相克を起こしていたのだ。
 彼女の言葉で僕は気持ちの整理をすることが出来た。
 自分の発想の刺激にするつもりで遅ればせながらゲームに取り組んでみようと思う。
 昨日、おとといはポールマッカートニーのLIVEに関することでタイムラインがいっぱいになった日だった。僕の知り合いは音楽関係者が多いせいもあるだろうが、東京ドームに行かなかった人の方が少ないだろうというくらい皆このライブに足を運んだようだ。
 知り合いで1人だけ渋谷公会堂のボズ・スキャッグスに行っている人がいたけど(笑)。
 「ビートルズはリアルタイムではないが・・」という人も多いがそれは僕も同じだ。ビートルズは1962年レコードデビューし、1970年には事実上解散している。デビュー当時に14歳だった人は今65歳、リアルタイムにファンだった人たちは若くても50代後半の計算になる。
 なにしろポール本人が71歳だ。ジョン・レノンもジョージ・ハリソンも今はいない。もう生きる伝説といっても過言ではないだろう。
 僕も小学校3年生のときにクラスの友達が「お兄さんのレコードだ」と言って聞かせてくれた「オールディーズ」にハマり、ビートルズに夢中になった。1974年のことだ。すでにビートルズは解散していた。だからリアルな音楽活動を活発にしていたポールにも夢中になったのだ。
 アルバム「アビーロード」のB面の衝撃を頂点にその音楽性のみならず思想、哲学・・・。多感な時期に単に音楽が音楽として終わらないということを教わった。
 ジョン・レノンののエッジの利き方も素敵だが、商業主義とアートのあいだの絶妙のバランスの上にいるポールのプロデューサー的な感覚、マルチな才能にもまた大変な魅力がある。

 先日あるタレントがラジオで「世の中の全ての人間はポール型とジョン型に分類できる」と言ってたが、まさにその通り。ポールとジョンは世の中の相容れない要素の全てを持っているように思える。不器用なジョンと器用なポール。この二人の対比は挙げだすとキリが無い。
 ジョンが早くにこの世を去ったのに対し、71歳になってもまだライブをやっているポール。これもまたジョンとポールらしいと思うのだ。

 ビートルズというグループは全ての音楽を愛する人にとって初級編であり中級編であり上級編であり、音楽を好きになった人がまたそこからどこへでも巣立って行けるホームのように思える。
 ビートルズの音楽は全てであり、ジョンとポールは陰と陽でありプラスとマイナスでありαでありβである。そしてジョージとリンゴもまた別の座標軸であり、ビートルズまるで四次元空間の様でもあり、どこへでもワープしていけるスペースシップのようでもある。

 かつてビートルズの曲だけを使うラジオドラマを作ったことがある。渋谷の伝説の不良の物語。主演は古田新太、東幹久、大槻ケンヂ、古本新之輔。今考えると結構なメンバーが出ていたのだが、そのときに作っていた驚いたのはビートルズの曲はあらゆるシチュエーションに合うものがあるということだ。
 つまり、スローからアップまで、ロックからジャズ、民族音楽風なものまで全てのタイプの曲があるということだ。ビートルズの創る音楽の幅の広さと懐の深さには驚きを禁じ得なかった。
 
 そんなことを思いながら未だ現役で、ライブの終わりに「また会おう」と言ってステージを去るポール・マッカートニーの姿に僕の人生に大きい影響を与えてくれた感謝の念が込み上げてきたのだった。Thank you,Paul !