毎朝会社に出社する途中で見かける人がいる。
 その人は会社の最寄りの地下鉄の駅の改札を出て、地下通路から地上に上がる階段の途中の広い踊り場で、大理石の壁に寄りかかって立っている。
 通り過ぎる人たちからは横を向いていて、その表情はどこかイライラしているようでもあり、神経質そうな眼差しは中空のどこを見ているのかよくわからない。
 何か落ち着かない様子でまぶたをヒクヒクと振るわせているようでもある。
 鼻筋は通り、ゆるやかな鉤鼻の持ち主。
 僕自身の出社時間は緩やかで大体8時半から10時の間だが、毎日彼を見かけるということは彼がかなり長い時間その場所にたたずんでいるということだろう。
 なぜそこにいるのだろうか。
 彼は細身で背は175センチくらい。決して不細工ではないその顔から判断して恐らく20代であろう。芸能人で言えばスマップの草彅くんに似ている。
 彼がそこに毎朝たたずんでいる理由を考える。
 会社に行くのが嫌なのだろうか?結局は出社しなければならないのに時間ギリギリまでその場所で時間をつぶしているようにも見える。でも、それだったらギリギリまで家にいるほうが普通かも知れない。
 誰かと待ち合わせをしているんだろうか。それもおかしいだろう。時間を決めて待ち合わすならば同じ場所に朝からあんなに長時間立っている訳が無い。
 もしかしたら通勤途中で会う素敵な人に一目惚れして、もう一度会いたいと望むあまり、あの場所で時間が許す限り待っているのかも知れない。うん、これがしっくりする、と自分に無理やり納得させようとするが、僕の直感がそうではないと言っている。
 なにしろ彼は嫌なことをこれから起こることを確信しているような萎縮した表情で眉をひそめ、うつむき加減にしている。
 それとも彼は家族を安心させるためにクビになった会社にまだ勤めているがごとく生活し、この場所で時間をつぶしているのではないか・・・想像は尽きない。
 彼を見かけるようになってからたぶん2ヶ月くらい経ったはずだ。このまま彼が明日からこの場所に立たなくなったとしても僕の日常は変わらない。
 でも通勤途中にすれ違う人たちの数だけ人生があり、喜びがあり苦しみがある。それを窺い知ることはできないし、する必要もない。
 でもやっぱり気になるんだよな、あの人。
 
 
 
 今さら半沢直樹を見ている。
 友人が録りだめてていたものをディスクに焼いてもらったのだ。
 ていうか見てなかったのか?という感じですが、はい、見てませんでした。僕はヒットしているものから目を背けたくなることがたまにある。
 それは大体において波に乗り損なった自分への言い訳である。
 もしも始めから見ていて面白いと思えたならば、「半沢直樹見てないの?面白いよ」と人に薦めていただろう。でも残念ながらその波に乗り損なった。
 波は追いかけてももう乗れない。むしろ流行ものを知らないという空気の読めない人のポジションを僕は選んだ。でも寂しかった。だって人が「倍返しだ!」とか言って盛り上がっているところで一緒にいる僕の笑いは乾いていてリアリティが無かった。
 実は「あまちゃん」も見ていない。仕事であるラジオ番組の企画としては「半沢直樹リクエスト」もあったり「あまちゃん特集」もあった。
 そのときは「見てないオレでもわかるようにさあ・・・」と如何にも見ていないことに正当性があるがごとく喋っていた。番組ゲストに来た古田新太さんと話したときはさすがに見ているように知ったかぶりしたが、きっとばれていたんだろうな。
 その僕が今さら半沢直樹を見ている。おとといの晩に妻と一緒にごはんを食べながら5話まで見た。ふたりで「おもしろい!」と盛り上がった。今、半沢直樹は支店長のとの対決に勝利し、東京に転勤になったところだ。これから大和田常務と・・・。我が家のこの半年遅れの盛り上がりに妻と顔を見合わせて爆笑した。今日から出張に出かけて行った妻が出がけに「明日は半沢直樹見ながら晩ご飯食べようね」だって。おかしなことになっている。半年前には半沢直樹を見ながら日曜の夜を過ごしていた人たちが大勢いたはずだ。まるで時空の隙間に紛れ込んだような我が家庭。
 こうなったらつぎは「あまちゃん」を見てみようかとちょっと思っている。
 
 最近知った慶応大学生の山本みずきさん。
 ニッポン放送の番組に出演していたのだが、正論で『18歳の宣戦布告 国家観なき若者に告ぐ」という文章も読んだ。
 ブログを読むと普通の大学生ライフを謳歌している様子がわかる一方で、青年会議所の方と対談したり、講演活動したりしている。
 高校生のときに国連でスピーチしたこともあるそうだ。
 彼女によれば、高校一年生のときに福岡市の親善大使として派遣されたマレーシアの学校で日本の国歌を唄う事を求められたが、そのときの彼女は「君が代」の歌詞を完全に暗唱出来なかった。
 そのことに恥を覚えた彼女はもう一度日本の歴史や文化について勉強し直したのだという。
 彼女は戦後体制の顕著な特質のひとつとして「国家観の欠如」を挙げている。
 高校生に「日本がいつ、誰によって建国されたのか」アンケートを取ったところ、「紀元前660年に神武天皇が建国した」と答えられたのは100人中わずか2人で、答えの中には「マッカーサー」「推古天皇」「卑弥呼」などもあったそうだ。
 彼女が調べたところ、自分が使っている日本史の教科書には建国の歴史に関する記述は一切無く、それも無理無いと思わされたという。
 彼女はこうした事実を知り、日本人、特に自分の同じ学生達に「国家観を持つべき」と呼びかけている。
 とても興味深いことだ。
 かつてニューヨークに住んでいるときにアメリカ人の友人から「日本が単一民族国家というのはウソだ」と言われた事がある。
 彼曰く、日本には元々住んでいたオールドモンゴリアンと朝鮮半島から入ってきたニューモンゴリアンと南から入ってきたミクロネシアンと最低でも3つの民族のミックスだ、と。
 また第2次大戦後にアメリカによって作り直された日本。だから「1945年にマッカーサーによって建国された」というものの見方もある。
 そもそも日本が日本と言う「国家」になったのは近代での区切りは明治からであろう。
 卑弥呼の邪馬台国は日本ではないのか、と考えると「卑弥呼」と答えた人にもそれなりの理由があろう。
 友人が「国家」という演劇を作った。
 それは桓武天皇と最澄の物語。
 友人は桓武天皇が「国家としての日本」に目覚め、体制を整えて行く姿を描いた物語だった。
 僕自身がどう考えているかというと、まだ完全に考えがまとまっていないということだけは言える。
 日本では「くに」というと自分が生まれた故郷のことだし、ついこの前まで日本の境界線も曖昧で、海を隔てての中国、韓国はともかくとして北の蝦夷、南の熊襲も異民族だったわけだし、日本というものが京都と大阪の関西圏と江戸の関東圏を中心としたもので、現在の日本の領土を日本人が意識したのはやはり明治以降ではないか。
 そんな風には思っているが、慶応大学の山本さんのように『今の大学生に国家観を!』と呼びかける事は本当に素晴らしいと思う。
 いずれにせよ僕は日本という国が好きだから、右翼だ左翼だという話ではなく、ただ単に自分が住んでいる場所を愛する気持ちを持ち続けたいとは望むのだ。