きっかけは勝谷誠彦さんのメルマガだった。
 年末の安倍晋三総理の靖国神社に関する朝鮮日報の記事「靖国神社に長蛇の列、位牌の前で1年の願い事」(1月3日)、中央日報の記事「靖国には現在、東条英機ら第2次世界大戦当時のA級戦犯14人の位牌が合祀されている。本来は犠牲者246万人の位牌があったところに、1978年、密かに極東国際軍事裁判でA級戦犯に分類されて死刑となったり獄中で死亡した14人の戦犯を「昭和時代の殉難者」という名前で合祀したのだ。」(12月27日)を取り上げ「位牌」と書かれていることに「わかってない」と書いているのを読んだのだ。
 確かに神社で「位牌」はおかしい、と日本人として直感的にわかる。
 しかしよくよく考えてみると「神社に祀られる」とはどういうことなのか具体的に理解出来ていない自分にも気がつく。
 位牌っていうのはそもそも調べてみると「死者の祭祀のため、死者の戒名などを記した木の板」のことだ。少なくとも日本人である自分にとってはお寺と関わりの深いものであって、明らかに神社という文脈に登場するグッズではない。
 ということは靖国神社には戦没者たちはどうやって祀られているのだろうか。そもそも「祀る」とはどういうことなのか。
 靖国神社のホームページを見に行く。靖国神社とは「国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社」なのだそうだ。
 「人々の御霊」はどうやって祀られるているのか。更に見て行くと靖国神社には「社霊璽簿奉安殿」というものがある。これは「神霊を合祀する際に用いる霊璽簿を納めるための建物で、和紙で作られた霊璽簿には、合祀される神霊のお名前が記されています。」と書いてある。
 「霊璽簿(れいじぼ)」・・・初めて聞く。これも調べてみる。
 wikiによると靖国神社には・・・
<被祀者の遺骨・位牌などはない。まず真っ暗闇の夜に氏名、軍における所属・階級、位階、勲等などを筆書きし、「人霊」を「霊璽簿(れいじぼ)」(旧称「祭神簿」)と称される名簿に移す。次に靖国神社の神体とされる鏡に「霊璽簿」を写し、合祀祭を行うことで「人霊」を「神霊」へと化す。このようにして「御霊(みたま)」を招来し、身分、職業、年齢、性別にかかわりなく、手厚く祀っている」という。祭神は氏名の最後に「命(みこと)」または「媛命(ひめのみこと)」を付し、例えば山本五十六だと「山本五十六命(やまもといそろくのみこと)」の様に呼称する。>
 少しわかってきた。少なくとも靖国神社に祀られるにはこの霊璽簿に名前が書かれることが必要な訳だ。こんなこと全然知らなかった。
 
 神道が日本古来のものであるが故に、神社に祀られることと寺社に祀られることの違いを諸外国に理解せよというのはなかなか難しい。だからこそこの靖国神社の問題は相互理解が重要と思えてくる。
 靖国神社参拝を「ヒトラーの墓参り」に例えた芸能人がいた。気持ちはわからなくもないが絶対に混同してほしくない「日本人の核」は存在する。
 文化を超えた相互理解は大変に難しい。異文化な者同士がお互いのルールを押し付け合っても絶対に解決にならず、「あるがまま」に相手のことを受け止めること以外に一歩は踏み出すことはできないと今の自分は思うことしかできない。
 僕はジャズが好きだ。僕が子どものころ「フュージョンブーム」が起こった。フュージョンとはジャズとロックが融合した音楽で、当初はクロスオーバーと呼ばれていた。ジャズの進化系のひとつのかたちで会ったとも言えるだろう。
 ラジオからはいつもそういう音楽が流れてきていた。それを必死でタイマー録音してウォークマンで繰り返し聞いていた。なけなしのお小遣いでレコードを買い、それをレコードがすり減るからと、最初に針を落とすときにテープに録音、それを聞いていた。
 そこまで僕を夢中にさせたあのムーブメントはなんだったのだろうか?今考えるとかなり特殊なムーブメントであったように思う。
 そしてジャズフェスティバルがたくさん開催されていた。
 Aurex Jazz Festival、LIVE UNDER THE SKY、MtFUJI Jazz Festival・・。場所は横浜スタジアムであったり、武道館であったり、よみうりランドEASTであったり、富士山のふもとの野外であったり。今自分がエンターテインメントの仕事をしてみて初めてわかることだが、現在、それだけの会場を満員にできるジャズミュージシャンはいない。
 あの頃のムーブメントがどれほど大きいものであったかわかるだろう。それ以外にもたくさんジャズフェスはあり、日比谷野音で行われていたサマージャズフェスなどは日本人のミュージシャンが中心のフェスで、チケット代も安かったので高校生の僕は昼から夜まで何時間にもわたり夏の炎天下で暑さをこらえながらジャズを聴いた記憶がある。
 日本で唄のはいっていない楽器だけの演奏、いわゆるインストがあそこまで聴かれた時代を僕は知らない。遡れば戦後にアメリカから入ってきたジャズが流行した時代があったと聞くが、それ以来だったのではないだろうか。またそれ以降にインストが流行ったことは無い。
 スターもたくさん出現した。カシオペア、スクエアといったフュージョンバンドは少年たちの憧れであった。ギターの渡辺香津美の曲がオーディオメーカーのCMに使われたり、サックスの渡辺貞夫の曲が同じくCMに使われたり、本人がCMに出演し草刈正雄と競演するに至ってはそのブームがどれほどのものであったかがわかるだろう。
 
 なぜあの時代、音楽は歌詞を必要としていなかった。もちろん流行歌は存在した。ニューミュージックブームが世の中を席巻していた。そして洋楽も聴かれていた。
 こうした状況を俯瞰するとやはり当時、歌詞に対する欲求はそれほど高く無かったのではないだろうか。ときは80年代バブルに突入して行こうという時だ。
 音楽は時代を映す鏡。時代の豊かさを享受しているその時に音楽はその幸せな時間を演出するツールとしての役割を担っていた。浮かれた気分をさらに浮き立たせる音楽、それがフュージョンミュージックだったのかも知れない。
 近年も夏フェス、ロックフェスが数多く開催されているが、あの頃ジャズフェスとは質が異なっている。今のロックフェスは日頃の鬱憤を晴らすため思いを音楽にぶつける異次元空間の様相を呈していて、夏フェスの数日間音楽に没入してまた変わらぬ日常に戻って行く・・。僕にはそんな風に見える。
 歌詞に自分を重ね、やりきれない気持ちを昇華して行く。
 音楽の役割は今、人生の辛さを癒すトランキライザーのようなものだ。
 ジャズだってルーツを辿れば、虐げられた黒人達がその気持ちを癒すために奏でた音楽が始まりである。
 どちらが音楽として優れているという話ではなく、もう一度世の中にジャズが愛される時がくればいいな、とジャズを愛する僕は思うのだ。
 
 正月に親戚が集まった時のこと。
 僕のいとこの娘が「ダブルダッチでニューヨーク行ってきた」と言う。ダブルダッチでニューヨーク?どういうこと?ダブルダッチってそもそもなんだ?おぼろげながらヒップホップ系の人たちがやっている縄跳びだったっけ・・・と少ない知識を掘り起こす。
 調べてみるとダブルダッチとは2本の縄を使った縄跳びのこと。向かい合ったターナーと呼ばれる回し手が縄を回し、それを技を交えながら跳ぶ競技だ。
 17世紀にニューアムステルダムに入植したオランダ人によってアメリカに伝えられたらしい。
 僕にヒップホップのイメージがあるのは、ニューヨークのスラム街で1970年代に非行に歯止めをかけるためある警察官がルール化して広めたとのこと。何となくストリートっぽいイメージがあるのはそういうことからだったのか。
 いとこの娘は中学生だが、このダブルダッチをやっているらしい。そこで日本一になったのでニューヨークのアポロシアターで開かれた大会に出場してきたというのだ。
 日本の競技人口は5万人ほどらしいが、ネットでダブルダッチについて検索すると、小学生から社会人までかなり幅広くプレイヤーがいるようだ。
 そしていとこの娘のユリちゃんが通っている中学ではダブルダッチが盛んで大会上位入賞常連校のようなのだ。
 youtubeで大会での競技の様子も見ることが出来た。音楽にのって6人のプレイヤーがダブルダッチをやるのだが、踊りながら繰り出されるフォーメーションはよく縄に引っかかったり、足がもつれたりしないものだと驚くほどカッコいい。
 さらに狛江市のホームページを見ると以下のような記事を発見した。

<平成25年9月「ダブルダッチデライトキッズ2013」パフォーマンス部門で第二中学校ダブルダッチ部「狛Revue」が3連覇を果たし、日本代表として12月8日(日曜日)にアポロシアター(アメリカ・ニューヨーク市)で開催された「第22回ダブルダッチホリデークラシック」一般の部に出場しました。
 一般の部は14歳以上の大学生や大人も含まれるハイレベルな闘いの中、谷津田有理子さん(キャプテン)、倉冨美生さん、小堀琴乃さん、菅井怜良さん、亀甲ひなのさん、中野友葵さんの6人の中学校2年生は、大人をしのぐパフォーマンスで第8位となりました。>
 
 なんと僕のいとこの娘のユリちゃんはキャプテンだということもわかった。
 しかも世界8位!すごいよすごいよ。オジさん驚いちゃったよ。
 確かにダンスが正式に授業に取り入れられた今、こうした競技で世界に出て行くことができるのは僕が思うほど特別なことでは無いのかも知れない。
 日本の子ども達は確実に僕が子どもだった40年近く前とは変わっている。
 長期不況にあえぎアベノミクスにわずかな明るい兆しを感じようとしている大人から見ると彼女達のなんと眩しいことか!
 こういう経験を通して日本の将来をさらに明るい方向へ引っ張って行ってほしいと切に願う正月であった。