今日は天気が良かったので外に走りに出かけた。
 昨年の11月に出場したフルマラソンを走って以来ずっと膝が痛く、走る量が減っていたのだけれど、ここのところ調子が少し戻って来ているので少し遠くまで走ってみた。
 いつもあまり目的地を決めず、大体の方向だけを考えて行き当たりばったりに走るのが僕のスタイルなのだけれど、今日も何となく下北沢あたりを走っていると遊歩道に出くわした。
 都内を走っていると遊歩道が多いことに気づく。それは元々街中を流れる川であることがほとんどで、すでに埋め立てているものと、未だ遊歩道の下には水が流れているものと2種類ある。
 今日もその遊歩道を走っていると246に打ち当たり、その遊歩道が目黒川になった。そう、花見シーズンは桜見物の人たちで賑わうあの目黒川だ。
 考えてみれば目黒川の上流がどうなっているかなんて考えてなかったな、何てことを思いながら今度は目黒川沿いを下ってみることにした。
 目黒川沿いを走る人は多い。向こうから走ってくる人もいれば、僕と同じ方向を走る人もいる。
 同じ方向に同じくらいのスピードで走っている人がいると、妙は空気になるものだ。遊歩道や川沿いのコースには必ず信号で止まらなければいけない場面がやってくる。そのときはみんなそこで立ち止まる。そしてややこしいのは走り出す時だ。ふつうはスピードの速い人を先に行かせるものだが、信号が青に変わって走り出すときにお互い譲り合ったりする。なのに走り出した後に追い抜かれたりするとバツが悪石、その逆もまた同じことだ。
 今日もパステルカラーな目に眩しいウェアで走る女性がいて、この人が僕と同じくらいのスピードで走る。それでいて信号で止まると、ちょっと負けず嫌いな性格の人なんだろう、僕より先に飛び出して行くのだが走り出すと僕より遅い。だから僕がその女性を抜かす。信号で止まる、また先に走り出す、抜かす、といった繰り返しになり走っている僕自身の精神的な負担になる。
 まあ、気にしなければいいのだけれど、そうもいられないものだ。
 目黒川が五反田あたりまで来たところでその女性は角を折れて消えて行ったが、そこまでは微妙な関係が続いた。
 目黒川沿いにはもう桜の時期に向けて提灯が川沿いに連なっていた。これもよく見てみると、協賛者の名前が書いてある。同じ企業の名前がいくつも提灯について続いて吊り下げられていたり、中には「○○入学祝い」と、どうやら子どもの入学祝いに記念に一口提灯を買ったと思われるものや、夫婦と思しき同じ姓の男女のものがあったり地元に支えられ、生活の中に溶け込んでいることがよくわかる。
 天王洲の手前まで目黒川沿いを走ってしまったので今度は北に向けて進路を取り直し、大崎の駅をかすめながら1号線に出て母校の慶応大学を目指すことにした。
 空は広く限りなく青い。日陰にいるとまだ風が冷たい季節。行き交う人もまだ冬のコートを来ているものの手に持っていたり、出かけるときに着るものに悩んだであろうとことが伺われる。
 慶応のそばの今日は休みのラーメン二郎の前を通り過ぎ、今度は麻布十番方面へ。
 韓国大使館の前と中国大使館の前を通るがかなり物々しい警備に世相を感じる。
 六本木ヒルズ、表参道、そして代々木公園。今日は「アウトドアフェスティバル」なる催し物がやっていたのでそこで何か食べようと思い、その場所をゴールにする。約20kmのランニングとなった。
 で、結局今の時間、膝が痛い。ちょっと走り過ぎたかも。
 
 76世代という呼び方があるらしい。
 1976年以降が76世代。デジタル、ネットのリテラシーの分岐点なのだそうだ。
 1976年以降の生まれの人はインターネットやデジタル系に関する感覚、考え方がそれ以前の生まれの人とは全然違っているとのこと。
 僕自身は今ひとつピンと来ないけど、確かに元CIAでアメリカの情報監視について暴露して現在亡命活動中のエドワードスノーデンは1983年生まれの現在30歳!。ええ!30歳でそんなこと知ってて、そんなことしちゃったの~?という感じだ。
 作家で元外務省の主任分析官だった佐藤優さんがどこかで言っていたのだけれど、プログラマーというのはアナーキスト(無政府主義者)になる傾向があるらしい。C言語をはじめとするコンピューター言語を自由に操る彼らは簡単に国境の壁を乗り越える。
 中国政府がネット上でどんなに言論統制をかけてもそれを必ず乗り越えるハッカーがいるように、彼らは世界中のどこへでも入って行く。
 そんな彼らお互いにある種のシンパシーを感じることがあっても不思議ではない。
 そういえば中国の動画サイト「优酷」の社長も相当若かった気がするなまだ30歳くらい。
 そんな実際の言語、例えば英語のような国際語は違った「国際言語」であるコンピューター言語を身につけた彼らがアナーキストになって行く感覚は想像できない訳でもない。
 アメリカでは「プログラミングを憶えよう!そして世界を変えよう!」と呼びかけているラッパーがいるとも聞く。
 このデジタルに関する能力というのは今後は学校で必須で習うようなものになっていくのかも知れない。国語、算数、プログラミング、理科、社会・・・みたいな。

 話を元に戻すと、この76世代という話は東洋経済オンラインの佐々木編集長からお聞きした。この佐々木編集長自身1979年生まれ。若い!
 佐々木さんは就職後一度休職して2年間留学されていてアメリカはスタンフォード大学で修士号を取っていらっしゃる。すごいなあ。
 まあ、76世代よりも遥か昔の65世代、昭和40年男の僕だって薄々わかってはいるのですよ。
 これからの世の中英語が喋れるのが当たり前だし、デジタルに強いのも当たり前。
 僕自身97年に休職してニューヨークに住んでいたことがあるが、まあ遊びほうけていたので、英語は喋れないことを改めて自覚したくらいだし、その頃コンピューターやデジタル関連知識がこれから必要なんだな、ということを肌で感じはしたけれど何にもやってないのが現状だよ。
 ああ、定年まであと12年。どうやってごまかして行こうか。そんなことをぐずぐず考える春分の日の朝であった。
 今日という日が終わった。
 いろいろな人がいろんな場所でそれぞれの思いを語っているけれど、そのひとつひとつに切なる思いを感じる。日本人として共有できる悲しみと怒りがそこにある。
 僕は僕でラジオでの特番というかたちで思いを少し共有することが出来た。
 でもその作業の中で気づいたことがある。それは東北の人たちが心の奥底で感じている疎外感。
 東北は日本であるかも知れないけれど、大和ではなく蝦夷であるということ。
 「東北は未だみちのく(道の奥)であった」
 「東北は切り離され見捨てられたのだ」
 そんな声をキャッチすることが出来た。
 そう。
 東北人の思いは関東以西の人間にはわからないのかも知れない。
 いや、わからないということをわかるべきなのかも知れない。
 沖縄の人がいう「内地」という言葉を使う気持ちと似ているようにも思う。
 今、ニュースでよく聞くウクライナもロシア寄りの地域とポーランド寄りの地域はいろいろと違うのだそうだ。
 人間の心の奥底にある、良く言えば「区別」、悪く言えば「差別」の心。
 そんなことに気がついた震災から3年の今日だった。