土日に趣味で組んでいるバンドのLIVEが二日続けてあった。土曜日は高校の同級生バンド、日曜日は大学時代の仲間とのバンドだ。
 最近思うことは人間っていうものは18歳くらいで完成しているのではないかと言うこと。
 もしかすると15歳くらいで完成しているかも知れない。
 3月に高校の学年同窓会があり、卒業以来30年ぶりに会った同級生たちの印象とか現在の感じが全くと行っていいほど昔と変わらない。
 男子校なので見た目の問題でいうと禿げるか太るかでかなり印象は違うが、話して行くと全くと行っていいほど趣味嗜好は変わっていない。
 サッカー部で本当にサッカーが好きだったんだな、と思ったヤツは今でもサッカーをやっているし、勉強が出来たという以上に学問に興味があったように見えたヤツは大学の教授になっていたり。
 かく言う自分もたぶん音楽好きだったことは間違いなく、それが現在の仕事につながっていると感じる。
 同学年では無いが同じ高校の先輩にプロのピアニストがいる。
 この人は中学2年生のときにプロのピアニストになることを志し、学校にいかずに1年ピアノを弾きまくり、そのあげく自分には才能がないと悟り復学した人だ。
 でもやはり今はプロのジャズピアニストとして活躍している。
 
 才能の有る無しではなく、好きか嫌いかがポイントなのだということがよくわかる。
 結局好きなことしか続けられないし、好きじゃないことはいつか嫌になる。
 そして大人になっていろいろ考えるより18歳くらいまでの志向性でそれがはっきりしているように見える。
 好きなことが仕事になればなおいいが、人生そんなに甘くは無い。とは言いながらみんなそれなりに楽しみを見つけてはいるようだ。
 そう考えると、生きていて迷ったときは18歳の自分に訊くのが一番いいのかも知れない。
 
 放射能で鼻血が出るかどうかで世の中が盛り上がっている。
 盛り上がっているなんていうと不謹慎かも知れない。
 それが事実かどうか。雁屋哲さんがどんな人かという話もたくさん出ている。
 僕は雁屋哲さんが現在オーストラリアに住んでいることを知った。
 このことについては勝谷誠彦さのメルマガの情報であり、勝谷さんはかねてから認識している雁屋哲像はなんら今回の件でも変わらない、いやむしろ昔からこういう人なのだ、と書いている。
 2011年7月の福島県の小学校の保険だよりに「1学期間に保健室で気になったこと・・」として「鼻血を出す子が多かった・・・」という記事があったことが今さらシェアされてきた。
 僕もシェアするといろんな人にシェアされ、その関心の高さ、または話題が旬な感じがうかがわれた。
 元双葉町町長の井戸川氏が自分の鼻血の写真をブログに書くに至っては、どう受け取っていいかよくわからなくなって来た。
 今回の件について受け取り方は千差万別。
 僕自身はそれでいいと思っている。だって福島原発は何の収束もしていないし、東京に住んでいる僕の身の安全だってまるでわからない。
 それから基準値以下だの安全だの言ったって、人類には放射能によって人体がどうなって行くか?なんてデータはチェルノブイリか、放射性物質を含む発光塗料を扱っていた昔の時計の文字盤職人くらいにしか無いのだから結局憶測の域を出ないようにも思う。
 どれくらい危ないのかわからないものに向き合うことはとても恐ろしい。
 でも、今日本人はその恐ろしい事態を体験している真っ最中なのだ。
 どこからが安全でどこからが危険なのかは全くわからないし、大人と子どもでも影響の出方が違うともいうのだから増々素人にはわからない。
 僕は仕事がらいろいろ調べたけれど、結局いろいろわかったところで、僕が今働いて、生活しているこの東京を離れて沖縄に移住することなんて出来ない訳だし、ましてや避難生活が日常となっている人たちの苦しみたちの思いは推して知るべしだ。
 こういうことが話題になることは全くもって悪く無い。
 苦痛を感じている人たちがいることを知ることは大切なことだ。
 その上でその苦痛を和らげる方法を原発事故の収束も含め考えて行かねばならないのだ。
 さる3月11日に東日本大震災の特別番組の制作にあった折、東北の方の声として「自分たちは“ヤマト”に切り捨てられたのだ」とか「東北は未だにみちのく(=道の奥、未開の地という意味)であったことを思い知った」のような発言を見聞きした。
 そう、今、少なくとも僕は徹底的に「人の身になる」ことを求められ、試されているのだと感じている。
 hideさんのことを書いたらとてもたくさんの人に読んでもらえたようなので、もう少し書いてみようと思う。
 こんなに時間が経ってもhideさんを求める人たちがいる。もうこの世去ってしまったのでこれ以上エピソードは増えない。だからもうちょっと僕の記憶を掘り起こしてみたい。
 オールナイトニッポンとXとの関わりは意外と深く、番組LIVEイベント「ぶっ通しLIVE」の出演に始まり、TOSHIが10分の月~木ベルト録音番組から始まりオールナイトニッポンの生放送を担当するに至る。
 その「TOSHIのオールナイトニッポン」はXのメンバーがロスに活動拠点を移すため番組を継続することが出来なくなり終了した。
 だからhideさんのオールナイトニッポンR(いわゆる2部。深夜3時~5時放送)はXのメンバーによる番組としてはそれ以来になる。
 僕は番組担当する以前に一度別の番組のゲストとしてhideさんと会ったことがあった。
 そのときのhideさんの印象は、燃える何かをウチに秘めた物静かなひとという印象だったけれど、その後「TOSHIのオールナイトニッポン」にYOSHIKIとHIDEが酔っぱらって乱入、スタジオの外、副調整室で口に含んだ酒で火を吹くという事件があり、狂気と紙一重の盛り上がりを見たこともあった。車内ではそれでディレクターの髪の毛が焼けたと笑い話になっていたけれど。
 自分が番組担当になって会ったhideさんはそのときの印象通りの人であり、その奥にすごく強い意志と深い考えを持った人であるように思えた。

 hideさんがやっていたイベントMIX LEMONed JELLY。このイベントを1998年バージョンの構想も話していた。その前の年は都内各所での同時多発イベントだったが、それを遊園地を借り切ってやろうとしていた。
 打合せもかなりの段階まで行っていたようなので、あのまま開催されていたらどんなだったのだろうと今でも夢想することがある。
 そしてそのLEMONedというhideさん主催のレーベルの中核をなすバンドZEPPET STORE。hideさんの後を継いでオールナイトニッポンの担当を務めた木村世治をボーカルに擁するこのバンド。
 すごくhideさんに愛されていた。僕自身がすごく意外に思ったのはhideさんがXや自身のリーダー作品などで聞かせる世界観とは全く違う、優しくメロディアスな世界観をZEPPET STOREが持っていたことだ。
 そのメロディやナイーブな感覚は、hideさんがあまり表立っては出さなかったが、実はhideさんのクリエイティブの重要な部分のようにも思えた。
 僕が発売前に聞かせてもらった「ピンクスパイダー」の仮ミックスバージョンではサビの部分で四分音符を刻むストリングスが聞こえていて、それはすごく僕にビートルズを連想させた。
 その後発売されたピンクスパイダーからはそのストリングスは聞こえなかった。
 ハードなサウンドの奥に秘められた繊細な感覚。
 まるでモナリザの絵の下にもう一枚別の絵が隠れているような、画家が描いた絵の上に全く違うもうひとつの絵を描くような、それでいて最初の絵を描かなければその絵は描けなかった、そんな作業のように思えた。
 そうして創り上げられた「ピンクスパイダー」という曲。
 ピンクのクモ。hideさんはピンクという色は空想とか妄想の象徴なんだと言っていた。
 蝶を餌食にして手に入れた羽根で空を飛ぶピンクのクモ。でも借り物の翼では上手く飛べず・・・。墜落しながら今度は「自らのジェットで」飛ぶことを決意する。
 改めてピンクスパイダーの歌詞を読んで、込められた強いメッセージに胸を打たれる。
 ピンクスパイダーが夢見ていた空の向こうには一体何があったのか。
 hideさんがあのまま生きていたら今はどんな活動をしていたのか。
 それを想像するだけで少し元気づけられる。

 後日I.N.Aさんが書いたものを読んで知ったのだが、hideさんはビートルズを聴いてなかったらしい。究極のクリエイターは結局同じところに到達するということなんだと思う。