甲斐よしひろさん。
 甲斐さんとは20年以上前、オールナイトニッポンの特番パーソナリティとディレクターとして知り合った。
 チャートインしてもテレビに出ることのなかった甲斐バンドが「ザ・ベストテン」に出演することになったとき、中学生の僕のクラスでは騒ぎになった。
 僕の前の席に座っていた杉本君が僕のほうを振り返り「甲斐バンドがベストテンに出るらしいぜ」と教えてくれた。歌った曲は「HERO」だったと記憶している。
 テレビで観る甲斐バンドはなんか男っぽくてちょっとコワイ感じがした。
 そのコワさは目の前に表れる邪魔者は容赦なくなぎ倒して行くようなその当時の甲斐バンドおよび甲斐よしひろさんの勢いを表していた。
 そんな甲斐さんの記憶があったから甲斐さんご本人お会いしたときの僕は緊張でガチガチだった。
 もちろん本番の生放送も同様だった。
 番組が終了し、簡単な打ち上げも兼ねて飲みに行くことになった。
 場所は当時の甲斐さんがよく行っていたバーで、もちろんそこでも僕の緊張は続いていた。
 自分の浅さがバレそうで、なるべく無駄なことを喋らないように寡黙に過ごし、時間が経つのを待っていた。
 宴も終わる雰囲気になったころ、甲斐さんが話しかけて来た。
 「電話番号教えてよ、また飲もう。」
 「え」・・・「えええ~!」。
 当時はまだ携帯電話はない。教えるのは自宅電話だ。
 わ、それだけで緊張する!自宅に甲斐よしひろから電話がかかってくるのか!??
 しどろもどろになりながら甲斐さんと電話番号交換し、打ち上げは終了した。
 そして数日後、僕がエレベーターが無いため階段で4階まで上がらなければならない自宅アパートに帰ると電話がチカチカ点滅している。再生ボタンを押すと聞き覚えのある声が流れ出した。
 「甲斐です・・・」
 きた!ホントにかかってきた!留守電には甲斐さんが日にちと場所を提案する内容が入っていた。
 翌日至急事務所に電話。甲斐さんへの伝言をお願いしつつやりとりをして約束をするに至った。
 そして当日。指定された店は打ち上げをしたバーだった。
 実はその店は甲斐さんと会う前から通っていた店だったが、甲斐さんと待ち合わせで入って行くとまるで違う店のような印象を受ける。
 店の扉を空けて入って行くと薄暗い店内。入り口から少し進むとカウンターが見えてくる。
 「げ!もう来てる」
 なんと甲斐さんはすでにカウンターに座っていた。
 「早く来たつもりだったのに!失敗した!もっと早く来るべきだった!」
 溢れる後悔を押し隠しつつ甲斐さんに挨拶、緊張のまま隣に座る。
 「何飲みます?」甲斐さんが僕に訊く。
 「ビ、ビールを」
 前から知っているはずの同い年のバーテンがよそよそしく僕に訊く
 「レッドストライプでよろしいですか?」
 この店のビールがレッドストライプなのは知ってるよ、来てるんだから。
 そしてグラスに注がれたビールで乾杯。そのあとの喋った話は一切憶えていない。
 ただただ、失礼がないように、バカがバレないように言葉を選びながら喋ったことだけは鮮明に憶えている。
 甲斐バンド40周年の日比谷野音でのLIVEについて書こうと思ったのに出会いの頃のことで終わってしまった。今日はここまで。続きはまた。
 
 
 
 安部公房という作家にはあまり興味がなかった。
 それは「砂の女」という作品について熱く語る高校時代の地理の教師が癇に障ったからかも知れない。もしかするとノーベル文学賞に近い作家という評価とか東京大学医学部卒なのに医者にならなかったとか、あまりある才能に嫉妬していたからかも知れない。
 その上少年時代に妖艶さに魅せられ、子供心に性的関心を煽られた女優、山口果林が安部公房の愛人であったことにさらに男として悔しさを感じたからかも知れない。
 こういう才気にあふれた作家には感情移入できるところが無い。
 作品は小難しく、理屈っぽく感じられ、理性で人間のエモーショナルな部分を否定する、もしくは理性で感情をコントロールし、欲望の蟻地獄から抜け出せない自分を客観的視点で描くことで正当化しようしているとも思われた。

 「安部公房の冒険」。
 先週末まで国立小劇場で行われていた劇団アロッタファジャイナの公演を観劇した。
 そしてこの舞台を通じて安部公房という男のくだらなさ、情けなさを感じることができ、どこか溜飲の下がる思いになり、初めて安部公房という作家に感情移入することが出来るようになった。
 脚本家の松枝佳紀さんの書く台詞には無駄が無く、科学的な緻密ささえ感じられる。
 中途半端な感情移入を排したその台詞回しに、作家としてはあれほど緻密で計算された文章で作品を紡ぎ出しながらも正体の分からなかった安部公房という男の感情、気持ちの動きが浮かび上がって来る。
 丸裸になっていく安部公房。
 その情けなさは愛人の前で小便を漏らすシーンで頂点を極める。
 それはもちろん病気のせいであるわけだが、妻の前ならいざ知らず愛人の前で失禁する男の情けないことといったらない。
 それは夫婦関係が究極は老後の下の世話をしなければならないことで象徴されるように、愛人との関係が自分たちを純粋に男女として規定することで成立させているように、小便は誰の前でも漏らせるものではないのだ。
 男が小便を漏らすことを人生で許せたのは唯一母親の前だけであろうし、自分が再び歳を取り小便を漏らすようになるとは思いたくないし想像もしないことだ。
 そう、この舞台「安部公房の冒険」の中の安部公房は妻と愛人と母親を頂点とする魔法陣のような正三角形の真ん中で呪われるよう悶え苦しむのだ。
 それは僕には安部公房が目指していた世界が安部公房自身に復讐しているかのごとく感じられる。 それは最後の最後まで必要以上の音楽や効果音を一切使わない荒戸源次郎さんの演出が作り出す緊張感あふれる空間であったからかも知れない。
 もちろんこの表現は安部公房を演じる佐野史郎さんの狂気があってこそであり、彼が作り出す空気は研ぎすまされていて、しんとした演劇空間に切れ味鋭い刃物のような危うい緊張感を醸し出す。
 僕は楽日も観たかったのだがスケジュール的に叶わなかった。
 僕が観劇したあともこの芝居は更なる進化をしていたことだろう。
 「安部公房の冒険」は、まもなく歴史上の人物になっていくだろう安部公房について、僕に取ってはその人間性に触れるリアルな体験となった。
 ちょっと自分なりもう一度安部作品を読み返し、いろいろ調べみようと今、思っている。
 
 永遠のテーマですが、音楽でも番組でも何でも、良いものと好きなものは違う。
 僕は仕事上よくエンターテインメントを「評価」しなければならない場面がある。
 この曲はヒットするかどうか、このアーティストは人気者になるかどうか。
 正直そんなことはわからない。
 そんな時の判断基準のひとつが好きになれるかどうか。
 でも実際に一回観たり聞いたりするだけで好きになれるものがそんなにあるわけでもなく。
 「いいですねえ」なんて曖昧な受け答えになったりする。
 じゃあどこが良かったんだ!とか聞かれたらたぶんちょっと言葉に詰まるだろう。
 でも無理やりでもいいところ見つけて褒めたりして。
 自分が作った番組とかイベントについても同様のことが言える。
 わかっちゃいるけど「どうでした?」なんて感想を求めてしまう。
 相手もたぶんちょっと困って「よかったですよ」なんてぼんやりした答えを。
 かといって「今ひとつだったな」なんて言われる猛烈に腹が立つ。
 自分が心血注いで作ったものだからね。
 でも少し経ってから客観的になれる頃振り返ると、言われたことがごもっとも!と納得することもある。
 だから自分にとって嫌なことを言ってくれる人こそが親身になってくれる人なんだともアタマでは理解する。
 でも世の中には明らかに「ヒット」が存在し、多くの人の心を掴む「名作」が存在する。
 最初に接した瞬間に「好きだ!」と思えるものも確かに存在する。
 でも後の大ヒットに最初から反応できるかというとそうじゃないから難しい。

 かなり前の話だが同じ時期に二人の女性アーティストがデビューした。
 僕はその一人をすごくいいと思い、いろいろと応援した。もう一人のアーティストについては「インパクトにかけるなあ」なんて思っていた。
 でもその「インパクトにかけるなあ」と思ったアーティストがご存知宇多田ヒカルさん。
 売れるなんてもんじゃない、日本の音楽史上でも空前の大ヒット「Automatic」こそが僕がインパクトに欠けると評価した曲だったのです。
 まさに「見る目が無い」とはこのこと。
 この二人のアーティストの作品はどちらも質の高い「良い」作品だった。
 ただ僕は宇多田ヒカルよりももう一人のアーティストの方が「好き」だっただけ。
 とはいいながら「ヒット」を作るのは難しい。
 ヒット作を次々に世の中に送り出していた人がそのあとぱったり、ということもよくあることで、第三者的に見ればツキのようなものだと思うし、当事者にしてみれば誰がなんと言おうと自分が最高だと信じるものを作り続けるしか無いってこと。
 そんなことを昨日も「上手い」という以上に「好きな」声を持つある人のLIVEを観ながら思ったのでした。