僕は明日誕生日を迎え49歳になる。
 昨年の48歳の誕生日、そして48歳という年齢をすごく特別なものとして意識していた。
 それは衆議院議員の中田宏さんが48歳の誕生日のときに「あとひと回り。僕はやります!」と高らかに宣言していたことに大いに影響を受けたせいもある。
 中田さんは僕より1つ上でその48歳の誕生日のときはちょうど横浜市長を辞職され、衆議院選挙の前という時期だった。
 そうか、この人はあと12年ということを強烈に意識しているのだな、と刺激を受け、自分の48歳についてもそれから考えるようになった。
 僕は48歳の誕生日パーティーを自分で企画し、自分の長年の友人できっと残りの人生でも大切な存在であり続けると思った方達を招待した。
 それで48歳の誕生日を何か特別な日にできたように思っていた。
 でもあれから一年。48歳という年が僕にとってどういう年だったかと振り返ると果たして前へ進めたのだろうか、という気持ちになっていることも確かだ。
 もっと新しいことを始めていればよかったとか、思ったように成果が出なくて、やっぱり僕はダメなんだろうかと不安になったり。
 そんなとき、先日実家を訪れた時、10年くらい前69歳で亡くなった父親の書斎に入り、なんとはなしに父が属していたあるサークルの会報を手にとった。
この会報誌で父はある時期巻頭言を書いていて、それが父親が残した文章としてはほぼ唯一のもので、本当に何を考えているかわかりにくい父親だったので、どんなことを考えていたのかな、などと考えながらたまにパラパラと見ることがあるものだった。
 そこにある言葉を見つけた。
 「莫妄想」
 中国唐時代の禅僧、無業禅師(760~821)の言葉である。
 無業和尚は誰が何を尋ねても、ただ「莫妄想」(妄想すること莫(なか)れ!)と答えたといわれている。
 過去をくよくよ悩んだり、未来を不安だと憂いたりするどうにもならない気持ちを妄想と呼び、妄想すること莫れ!すなわり今を必死で生きろ!と𠮟咤しているのだ。
 そのことを父が書いていた。
 「ああ、今のオレの事だ」
 と気づいた。
 48歳という年齢を特別視すればするほど、なんでこの一年何も出来なかったんだろう、とか今こんなことじゃこの先ヤバいんじゃないか、などという僕の気持ちはまさにその「妄想」である。
 余計なものを排して今を生きる。
 そんなことを今さらながら父親から教えられたような気がした。
 あと数時間で誕生日を迎えようとしている今、この「莫妄想」を心に刻みまたひとつ歳を取ろうと思うのである。
  
 ここのところ映像関係の機材が劇的に進化している。
 今から20年前くらい前に録音機材が劇的に進化し、ラジオマンの使う機材がプロ専用機ではなく、一般に発売されているものに取って代わった。
 今はプロのラジオマンが使う機材のほとんどが家電量販店で買うことができる。
 それと同じ現象が今映像の世界でも起こっている。
 ハイビジョンカメラはもちろん、4Kカメラだって普通に売っている。
 広角レンズのGoProや、動画機能のある一眼レフカメラなど選択肢は多く、値段も安くなっている。
 とりわけ僕が驚いたのはドローンと呼ばれるカメラが搭載されたラジコンヘリの登場だ。
 空撮と言えばヘリコプターを使うなど、かなり費用がかかるものだった。
 それがyoutubeで探すと、アマチュアが撮った空撮映像が山ほどでてくる。それもかなりの高さまで飛び、ときに墜落!しているものまである。
 あまり普及しすぎるときっと安全問題に発展することもあるだろうと思うくらいだ。
 先日アップルストアでもHDカメラ搭載リモコンヘリを見ていたら、店員さんが「もっと面白いものがありますよ」と進めてくれたのはJumpingSUMOというピョンピョン飛び跳ねるカメラ付きラジコンカー。こんなおもちゃがあるのか、と驚いた。
 そしてさらにここのところ僕が特に興味を持っているのは360度カメラだ。
 360度カメラの技術はすごく難しくて、お金もかかるものだと思っていたが、それさえも技術の進歩は簡単に覆す。
 数万円というかなり安い値段で360度カメラを購入することができるし、専用のソフトを使いWi-Fiでスマホに撮った映像を転送、指先で操作してインタラクティブな感じで映像を見ることが出来る。すでにもうテレビでも映画でもない映像の世界がネットを中心に展開している。
 すごいことになった。
 テレビも映画もこれまではアマチュアにとってはお金がかかる世界だった。しかし、このような機材の進化によって今後はアマチュア愛好家もプロと同じレベルで制作にあたることができるだろう。
 もしかするととんでもない若い才能が出てくるかも知れない。
 全くこれまでの常識を破る破壊的に面白いエンターテインメント映像が生まれるかも知れない。
 新しい技術や機材には子どもの頃からドキドキして来た。
 映像の世界におけるこうした進化から目が離せなくなってきた。
 今の自分の立場からは一体何が出来るのか?そんなことを日々考えている。
 緊張の出会いで知り合ってから20年。甲斐よしひろさんにはいろんなことを教わって来た。
 甲斐さんはときどき血液型と干支のことを口にする。僕と甲斐さんは同じ巳年生まれの12歳違い。どこかに共通点を感じてもらえているのかも知れない。
 そう、その甲斐さんの人間分析はいつも鋭い。何人兄弟か、一人っ子か、どんな子ども時代か、出身はどこか・・・。たまたま初めて会った人が相手でも何気なくプロフィールを聞き出して、的を射た指摘をズバッとする。
 その指摘がある意味「甲斐さんにわかってもらった」感となって残り、甲斐さんの広い交友関係を作っているのかも知れない。
 かつてデビュー30周年を記念して行ったらLIVEのゲストが大黒摩季、DA PUMP、mc.A.T、大友康平という多彩さで驚かされた事がある。
 その事を甲斐さんに感想として伝えた時「オレ、無駄飲みしてないもんね。」というひと言に深く納得。一期一会、出会った人と全身全霊でコミュニケーションする甲斐さんのように僕も飲もう、と決心したものだ。
 先日の甲斐バンドデビュー40周年LIVEは30周年LIVEとは随分趣きの違うものとなっていた。
 多彩なゲストを加えた前回とは違って、甲斐バンドとしてのLIVE、甲斐バンドとしての40年。
 甲斐さんがこのLIVEをどう考えていたのかが打ち上げに出させていただいてよく理解することが出来た。
 集まったのは甲斐バンド新人時代のマネージャー武石さん、初期東芝EMI時代のディレクター、プロデューサー、宣伝マンの方々・・。甲斐バンドの黎明期を共に過ごした伝説の登場人物達。
 僕はレジェンド・ディレクターのテーブルに座らせていただいたのだが、これまた大物ぞろいで恐縮至極。でも出る話題のひとつひとつが貴重で素晴らしく、当時の制作現場の厳しくも楽しい雰囲気が窺われる。
 現在の甲斐バンドのイベント会社の社長と現在の甲斐さんのチーフマネージャーが、1983年新宿で行われたライブBIG GIGのスタッフで、集合時間に遅刻して当時のマネージャー武石さんに正座させられた爆笑エピソードも出たが、その当時のスタッフが今も甲斐バンドを支えていることに甲斐さんという人物の凄さなのではないかと思わされた。
 甲斐バンドのメンバーである松藤さんや田中一郎さんと甲斐さんの関係を見ていても、これまでいろいろあったけれど、同じ時代を共有し生きて来た男同士・仲間だからこそ共有している大切な何かがあるんだなあと思わされた。
 僕にはこういう仲間はいるだろうか。還暦を超えても単に昔を懐かしむのではない、「今」を共有できる仲間がいるのだろうか、と振り返る。
 時代とともに変わり続けたからこそ変わらない関係でいられる男同士。
 きっと甲斐さんのスピードに付いて行けなかった人もたくさんいたのだろう。
 もちろん出会いと別れは人生に付き物だ。
 でも甲斐さんを中心として形成された小宇宙がそこにはあり、その小宇宙は生まれて40年というときを経てもまだ猛烈なスピードでいろんな人を巻き込み、膨張している。
 その原動力は甲斐さんとお互いを認め合った仲間たちが創り出す新しいエンターテインメント。
 今回のLIVEで発表された甲斐バンドの新曲3曲のうち「Blood in the Street」がドラマの主題歌になる事や、甲斐さんがどのドラマに出演し俳優デビュー?することなどを聞くにつけ、遊び心溢れた新しいクリエイティブでまだまだ前へ向かって進んでいることが素晴らしい。
 そして僕は甲斐さんに教えてもらった出会いの大切さを改めて思うのである。