3月にいろんなことがあり、4月は脱力。5月に入ってGWに仕事が立て込み、あまり物を書くタイミングがなかった。
 肉フェスのオフィシャルネット動画制作の仕事をしていたので、今話題の肉フェスに3回ほど行く機会があった。
 僕が行った駒沢公園の肉フェスは前期日程と後期日程に分かれ各日程で約30店舗づつ出店し、しのぎを削っていた。
 全体としてはすごい盛り上がり、賑わいだったが、どの店舗にも行列ができるかというとそうでもなく、ブレイクする店舗はある程度決まっている。
 その要因がなんであるのか主催者側にも聞いてみた。すると主催者側から見ていると、

1)わかりやすいメニュー
あまり凝った名前よりは「ビーフカツ」「ハンバーグ&メンチカツコンボ」のようなストレートなメニューを出しているところに人気が集まるという。

2)わかりやすいキャッチ
「前回チャンピオン」とか「今回が最初で最期の出店」とか、その店が「美味しいかも?」と思わせるうまいキャッチをつける店にも行列ができるそうな。

3)臨機応変な対応
時間限定で「30%増量」のようなタイムセールをして行列を作り、その行列をそのまま維持している店舗がありました。流れをみながら何かその時間ごとの対応をしていくことで客を呼び込んでいくのも集客につながっていくようです。

 余談ですが、僕たちが動画撮影のためにカメラとマイクを持って店頭に取材に行くとそれだけで行列ができるという現象もありました。
 それだけちょっとしたことで客足が左右されるということでしょう。

 勉強になりました。
 まるで番組のタイトルやキャッチ、そして臨機応変の内容変更・・・番組制作につながるポイントがそこにありました。
 エンターテインメント、サービスに共通のことなんでしょうね。
 もちろん最後まで売り上げを上げられず、怒ってしまうお店もあれば、肉フェスで行列店となり、実店舗も客が入るようになったところもあったみたいです。
 ある店舗は牛30頭を押さえて肉フェスに臨み、期間中にブレイクしてさらに牛の買い付けに奔走していました。一体いくら儲かったんでしょうか。
 ちょっとした要因で勝負が決まる。そんなことを体感した仕事でした。

 人間必死に頑張っても上手くいかないことがある。
 ときに誰もが自分の仕事を真面目に真剣に行った結果とんでもない悪い方向に進んでしまうこともある。

 「将校には四つのタイプがある。一つは利口で勤勉なタイプで、これは参謀将校にするべきだ。次は愚鈍で怠慢なタイプで、これは軍人の9割にあてはまり、ルーチンワークに向いている。利口で怠慢なタイプは高級指揮官に向いている。なぜなら確信と決断の際の図太さを持ち合わせているからだ。もっとも避けるべきは愚かで勤勉なタイプで、このような者にはいかなる責任ある立場も与えてはならない。」

 ドイツの軍人の言葉だ。
 そう、愚かで勤勉なタイプが揃った組織は間違った方向に走り始めても全くそのことに気がつかない。そして大変なことが起こる。
 そんなことを「止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記」を読んで思った。
 麻原彰晃が裸の王様状態で誰も止められなかったのか、それとも配下の者たちが虎の威を借る狐となり、少しでも麻原彰晃の覚えをよくしたいという気持ちから突っ走ってしまったのか。
 確実に言えることは小さな正当性の積み重ねの結果、大きな間違いが起こってしまったということだ。

 著者の松本麗華さん本人も当時のバランスを欠いた自分の精神状態を冷静に振り返ろうとしながらも、現在でも精神の平静を保つことに苦しんでいる様子が伝わって来る。
 死刑囚の父親、出所してからもう一度宗教活動に身を投じる母親、離脱し無関係でいようとしても「アーチャリー」という宗教的立場が未だに勝手に誰かに利用される現状。
 親兄弟親戚が信用できないと人間がどうなるのか、究極的なアイデンティティーの危機を体験し、この本を書くに至った決意と実行力は並大抵ではなかったに違いない。

 実は日本は「テロ先進国」であるという見方がある。
 爆弾テロも薬物テロもハイジャックも全部日本は経験している。
 現在のイスラム国の現状や「グローバルジハード」というテロの精神的背景を考えるにつけ、人間とはいかに弱く、自分ではない何かに依存し易いかというポイントにおいて、オウムと共通点を見出すことができる。
 今という時代はおそらく思想史上の転換点、既存の思想の危機、つまり近代理性主義の崩壊の時代なのだ。そしてそのことは既に日本人の内部で始まっているのだということも。
 原発に対する態度にも同様のことを感じる。
 だからこそ今、ミクロ視点に没入することなくマクロ視点でものを見る力が必要とされている。
 
 僕は東京は三多摩地区の出身である。詳しくは調布市生まれ、一時期三鷹市に住み、学校は小学校から高校まで国立市、最寄駅は京王線調布駅か中央線武蔵境駅、よく行った盛り場は吉祥寺だった。
 僕が住んでいるあたりは「都下」と呼ばれる。東京においては23区以外の市町村のことだ。都の下とはなんと失礼な、と子供の頃から思っていた。
 今話題の小説、ピースの又吉直樹さんの書いた「火花」の舞台は吉祥寺。読んでいると知っている場所がたくさん出てくる。
 この小説は主人公である若手芸人と先輩芸人との物語であるが、彼らが酒を飲み、語る場所が焼き鳥屋の”いせや”だったりハモニカ横丁だったり、僕にも馴染みの深いスポットが登場する。
 僕は自分が三多摩地区出身であることをちょっとコンプレックスに思っていた。
 三多摩地区は戦後ベッドタウンとして発展した地域。僕の父親も例に漏れず九州は福岡出身であるが東京で就職しその三多摩地区に住み着いた人だ。似た家庭環境の人が三多摩地区にはたくさんいて、僕の同級生たちもみんな似た境遇だった。

 浅草に住み友人から「子供のころの同じクラスに高級官僚の子供もいれば、ヤクザの子供もいた」なんてエピソードを聞くにつけ、いろいろなタイプの人間がいる都心を羨ましく思ったものだ。
 フォークソングの「神田川」の歌詞の世界は下町の風景だし、新宿は刑事物ドラマの舞台だし、六本木はディスコブームのときの中心地だった。電車でいくことの出来ない麻布なんて僕にとっては江戸川乱歩の推理小説に出てくる昭和初期のお屋敷街のイメージだし、こうした街にはどこか東京という「文化」の匂いを感じることができた。

 三多摩地区は戦後に急に人が住み始めて発展した場所だから老舗と呼ばれるようなお店は少ないし、住んでいる人はどこか画一的な印象がある。
 何か新しい文化が誕生するには多様性が必要だ。
 会社だってなんだってバラエティに富んだ人材がいるからこそ発展していくもの。
 そんな多様性が足りない、そんな風に感じていた。
 三多摩地区出身の有名人を探すと忌野清志郎さんや彼のバンドだったRCサクセションくらいしかな無く、80年代にはTMネットワークが出てきて少し嬉しくなったこともあったが、他にはあまり思い浮かばない。
 例えば博多といえば海援隊、甲斐バンド、チェッカーズなどなど有名なアーティストを生み出している。「街」というのはそういうものなのだと思う。
 そんな文化を生み出す「街」が三多摩地区にはない、それが僕のコンプレックスの根源だった。
 そのうち「画一的な人工的な街で育ったことが僕の文化的背景なんだ!」と開き直った時期もあった。そしてそのことは未だに正しいと思っている。
 ベッドタウン育ちはみんなが同じ方向に通勤し、みんなが同じショッピンセンターで買い物し、みんなが同じファミリーレストランで外食する、飲みに行くときはチェーン店の居酒屋。魚は魚屋で買い、野菜は八百屋で買うようなところがあまりない。
 でもその画一化された生活から生まれる焦燥感と狂気が三多摩地区出身者の突破口であるとさえ思っていた。

 話がそれた。実は「火花」を読んだときに吉祥寺という街が芸人を志す若者にとって青春の街になっていることに大いに驚いた。
 僕は大学生以外で地方出身者が三多摩地区に住んでいるのを見た記憶がないが、この小説を読んでいると確かに吉祥寺という街が文化を生み出すに足る環境として成熟しているような気さえする。
 又吉直樹さんの「火花」は国木田独歩の「武蔵野」以来の三多摩地区が舞台の小説ではないだろうかと思えるくらいにその文学世界としての吉祥寺は切なくて美しい。
 そんなことを思う人は少ないのかも知れないが、「火花」は三多摩地区民の心の支えのひとつに、文化的バックグラウンドのひとつに確実になってと感じるし、そのことがとても嬉しいのだ。