某男性アイドルグループの東京ドーム公演を観てきた。
 踊って歌ったり、仮装して歌ったり、バンドとして歌ったり、バラエティに富んだパフォーマンス。彼らの公演は東京ドームで4日間に渡って行われる。
 素晴らしいパフォーマンス。ときにゴンドラに乗りドームの中をめぐり、ときに気球に乗って客席のそばでパフォーマンスをする。
 そのサービス精神には感服する。ファンが喜ぶことを徹底的に考え抜き、作り出された構成。素晴らしいというほかない。
 そんなときふと脳裏をよぎる言葉がある。「アーティスト」。
 かつて80年代。「アーティスト」という呼び名が多用されていた時代があった。
 その時に活躍してたのは尾崎豊だったり、渡辺美里だったり、ボウイだったり、TMネットワークだったり。この時代の「アーティスト」の特徴は”ファンに媚びない”ということだったように思う。
 ファンが望むことより、アーティストが望むことを最優先し、そのちょっとワガママながらも才能ある者にしかできない創作とパフォーマンスをファンは楽しんだ。
 ユーミンや山下達郎、桑田佳祐といった時代が生んだ天才たち。僕はこういった「アーティスト」が創り出す音楽が大好きだ。
 でもこうしたアーティストで現在東京ドームを4日間公演できる人たちはあまりいない。
 時代が違うので単純比較は出来ないものの、僕には本当に多くの人が求めているのはアイドル的なものなのではないかと思えて仕方がない。
 アイドル的なもの=商業主義的なもの
 アーティスト的なもの=芸術的なもの
といったイメージもある。
 だからアイドル的なものがより多くの人たちに支持されることは自然なのかもしれない。
 僕が仕事を始めた頃に先輩に言われたことのひとつに「客に媚びるな」というのがあった。
 その意図はいい意味で客の期待を裏切るものを作れということ。客の求めるものを作っていると最終的に振り幅の狭いエンターテインメントになってしまうということだろう。
 でも今、時代は変わった。
 今求められているエンターテインメントはお客の期待に応えながら新しいものを見せていくようなものなのではないかと思う。
 時代は今アーティスト的な存在を今ひとつ許容していないように感じる。
 正直言うと僕はアイドル的なものが今ひとつピンと来ていないが、それが時代の流れだということがよくわかる。
 80~90年代のアーティスト全盛期は経済的な盛り上がり、バブル期と重なる。
 やはりエンターテインメントとは人間社会においては「余剰」的な要素なのだろうか。
 決して景気がいいとは言えない今の時代、人々が求めるエンターテインメントは自分たちをもっと直接的に喜ばせてくれる「アイドル的な」ものなのかもしれない。
 
 近年結婚式より葬式が多くなった。
 当たり前だが友人が結婚することが多かった20代後半から30代を過ぎ、やはり自分の親が亡くなった40歳、そして友人たちも同じように親が亡くなっていき葬式が増える。
 さらには最近友人、その本人の葬式も増えてきた。
 よくよく考えればあたり前のことだ。
 同い年の友達と会って話す話題に「あと10年」というフレーズがよく出てくるようになった。
 それは50歳の僕、および同級生たちの残りの現役人生のことだ。
 今この時点から10年間というストロークは遡るとついこの間のことだ。
 だからここからあと10年もきっとあっという間なんだろう。
 そんな思いをお互い確認しながら、あと10年どうやって生きようか?というのが主たる話題だ。
 門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし
 一休さんとして有名なお坊さんの詠んだ歌だが、まさに今、こんな心境だ。
 ネガティブなわけではないけれど、やはり人生は短い。
 まだやってないことがたくさんあるけれど、それを死ぬまでに全部できるわけもない。
 昔友人が言っていたことを思い出す。
 「人生で描ける絵は一枚だけ」
 そう。いろいろやりたいと思っても、人生で描ける絵は一枚しかないんだ。
 たまに何枚もかける人がいるけれど、少なくとも僕はやっぱり一枚しか描けないようだ。
 そろそろ「おつり」の人生に入ったような気がする。
 やりたいことはやってきた。
 でもまだやりたいこと、やってないことがある。
 でも今からアーティストとしてデビューして成功することなど、もちろん望むべくもないし、僕自身望んでいない。
 だから残りの仕事はよほど不本意な仕事人生でなければ、今の仕事の延長線上にある。
 自信を持って一枚の絵を完成させるんだ!という気合が今必要なんだと感じてる今日この頃ではある。
 学生から社会人に至るまで僕は肩掛けのカバンが好きだ。
 両手が空いていないとなんか嫌で、特に雨の日とか傘を持つ手を考えると肩掛けカバンを選んでしまう。
 ジムに行く日はトレーニングウェアが入るような容量のカバン。書類を入れて移動したい時用の薄手のビジネスバッグ。手持ちもできるけれどストラップがついていて肩にかけられるもの。
 肩掛けじゃないビジネスバッグも買ってみたことがあるし、今でも持っている。でも稼働率は低い。いやここ1年は1回も使ってないかも。
 でもジムに行くトレーニングウェアが入るけれど形上A4の書類が入らないものもあるし、バッグのマチが大きいが故に薄い書類をジムの用意と一緒に入れると折れ曲がってしまい不便なものもある。
 最低限の財布とか携帯電話とかを入れるだけの小さいカバンもやっぱり肩掛けをふたつ持っている。セカンドバッグのようなものはひと昔まえに流行っていたけれど、なんか今持つ気になれないし。でもスーツを着る場面で持つには少しカジュアル過ぎるし、まだフィットするものが見つかっていない。
 
 しかし、通勤時にまわりを見渡すと電車の中で肩掛けカバンを掛けているビジネスマンはあまりいない。やはり肩掛けカバンは若い人やカジュアルな格好の人が持っているもので、スーツの人には好まれないのかもしれない。
 僕がそれでも肩掛けカバンが好きなのは僕が大人になれないからなのかな、と思っている。
 どこかに成熟したくない気持ちがあって、それがカバン選びに表れているのかなあ。
 スーツケースを手に持っているビジネスマンはビシッと決まっていてもちろん素敵だと思うのだけれど、自分がそのスタイルになることはたぶんこれからも無いような気がする。
 なぜそうなれないのか今ひとつ自分でもわからないのだけれど、人というのは無意識レベルで好きな物嫌いなものをはっきり分けているみたいだ。
 スーツに肩掛けカバンは肩が少しシワになるし、あまりフィットしているようにも思えないけれどやめられないのです。