今年初めての投稿だが、もう1月も終わりだ。
 今年の目標のようなものも全く立てていない。
 立てようとは思うものの、上手くいった試しはない。
 これまでの人生で立てがちな目標を挙げていくと・・・
 「今年こそは英語喋れるようなる!」
 「今年こそは本をたくさん読む(月に◯冊読む)」
 「今年こそはピアノの練習をする」
 「今年こそは休肝日を作って家でゆっくり映画をみる」
 などが定番だ。
 実行したこともあるな、何年か前に「フルマラソンを走る」というのがあったけれど、実際にフルマラソンに挑戦し4時間を切ることが出来た。
 しかしその後膝を痛めて少しペースを落としている。
 でも昨年秋に受けた人間ドックの結果がちょっと危険信号な感じで、「休肝日を作る」は年が明ける前から家族にうるさく言われて実施している。が、その時間で映画を見ているわけではない。
 今から10年前に日記をつけていることがあった。
 亡くなった父が日記をずっとつけていたことを知り、刺激されて書き始めたのだ。
 その日記帳の冒頭には今年の目標という欄がある。
 そこになんて書いたっけ?と確認してみると赤面。
 「5年後にグラミー賞を獲る」と書いてある。
 もちろんその5年後は5年前にやってきている。
 ご存知の通りグラミー賞は獲れていない。
 一体どのジャンルで獲るつもりだったのかというと、すごく漠然としていて、自分の人生にミラクルが起きるとしたらグラミーが獲れるのではないか、と思ったように記憶している。
 でも10年前に仕事でご一緒していたB’zの松本孝弘さんはその後グラミー賞を獲っているのだからすごい。ロスと日本両方で活躍しているあるミュージシャンの方と数年前に知り合った。
 話を聞いたらすでにグループとして(アメリカのグループのメンバーだったのだ)グラミー賞を獲っているのだそうだ。
 その上「グラミー賞ってさあ・・・」という裏話を聞かせてくれた。
 その話は日本におけるレコード大賞とか紅白歌合戦出場をめぐる業界のあれこれと同じで、自分は日本の芸能界で仕事をしているけれど、グラミー賞は純粋な夢だと思っていたので、その現実的な話に軽くショックを受けた。
 でもだからといってそう簡単に獲れるものではないことは言うまでもないが。
 でも現時点での目標のマックスを考えるのは楽しい。
 グラミーもあまりの荒唐無稽な目標だが、他にも到達不可能に思えるけれど、心から叶えたいという目標を定めて夢想してみるのもいいかもしれない。
 何を目標にしようか。
 それをグズグズ考えた1月だった。
 
 今年読んだ本の中で、何とも表現し難い印象を残した本がある。
 それは「僕たちは戦場で育った サラエボ1992-1995/ヤスミンコ・ハリロビッチ編著、角田光代訳、千田善監修」だ。これはサラエボ包囲戦下で育った子供たちが20年経った今、戦争をどう感じていたのかをSNSを通じてメッセージを集めまとめたものだ。
 山の上からスナイパーが一般市民を狙撃する。それが日常の生活。昨日まで一緒に遊んでいた友達がある日突然いなくなる。朝出掛けて行った父親が二度と戻らなくなる。
 1965年生まれの僕にとっては反戦教育、平和教育の中で憲法9条について教わり、漠然と「戦争は嫌だ」と感じてはいたが、この本はその思いをすごく具体的なかたちにしてくれた気がする。
 この本の中で語られる事実は、僕にとっても”ついこの前”の出来事だ。自分の記憶とも比較しながら考えることができる。
 僕がオールナイトニッポンでくだらない企画をやってゲタゲタ笑っていたあの時間、あの時代、地球のある場所では銃弾に怯え、地下で避難生活を送り、ベトナム戦争時代のビスケットが混じった配給食糧で暮らす人たちがいたのだということ。
 1992-1995といえば、僕が最初の結婚をした時期だし、仕事に明け暮れ、終われば街に飲みに繰り出していたすごく充実していた日々。その同じ時間の中で友達が狙撃されて死んでいくのを目撃していた子どもがいたということ。
 そんな戦時下でさえ、男の子たちは戦争ごっこをするのだ!そんな現実。
 ニュースからは今も「空爆」という単語が聞こえて来る。その言葉の向こうで起きていることへ想像力を働かせることが出来ているのかどうかを僕の喉元に突きつけてくる、そんな本だった。
 今の政治はとても好戦的であるように感じている。もちろん政治上の駆け引きのカードの中に「戦争」というカードがどんな時代でもあるものだ。それは避けられないように思う。
 でも僕は戦場に行くのも、自分の街が戦場になるのも嫌だ。もちろん自分が戦闘に駆り出されることは真っ平ごめんだ。
 徴兵復活や9条改正そんな話題が聞きたくない。
 極端かも知れないが、被害者になっても絶対加害者になってはならない。
 憎悪のスパイラルは今、世界各地で起こっているテロを生む。
 やられたらやり返す。このスパイラルをどう止めればよいのだろう。

 値段と美味しさの関係は難しい。
 一体いくらだったら高くて、いくらだったら安いというべきか。
 それは自分の収入にもよるし、その人の価値観にも関わってくる。
 僕が十代の頃「イタメシ」が世の中で流行った。
 僕には何のことかわからなかった。小説で言えば田中康夫の「なんとなくクリスタル」が流行った頃のことだ。
 僕にとっては「イタメシ」=「イタリア料理」=「スパゲッティ」のことだったので、スパゲッティの五右衛門という店に行くのが僕にとっては「イタメシを食う」だった。
 でも何か違うな~と思っていて、そのことが理解できるようになるにはしばらく時間が必要だった。
 でも理解できたからといってそれが食べられるようになったわけではなかった。だってイタメシってどこで食べても一人単価10,000円くらいするのだ。学生に食べられるはずがない。
 あの頃の一人単価はデートで5,000円が限界、学生同士の宴会だったら3,000円がマックス。できれば2,500円にならないかと交渉したものだ。
 社会人になってもそれは変わらない。当時人気を博していた「東京いい店やれる店」を眺めながら、載っている店に行く自分をシミュレーションしていた。
 苦節10年以上の時を経て、僕がいわゆる「イタメシ」を食べに行ったのはおそらく二十代も終わりに近づいた頃だった。
 ワインだってその頃はなんのことだかわからず、白と赤以上の区別なんかつかなかった。
 別にイタリアンに限らない。1,000円以上するとんかつだって信じられなかったし、蕎麦屋で呑むって意味がわからなかった。だって僕にとって蕎麦とは明らかに「ごはん」だったから。
 もちろん同世代の可愛い女の子たちは年上の彼氏と一緒に美味しいものを食べていたかも知れない。でも僕は質より量。コストパフォーマンスこそ全てだった。
 もちろん「フレンチ」とと「イタリアン」の区別なんかわかるはずもなかった。
 気がついたら僕は50歳を超え、今は一応「フレンチ」と「イタリアン」の区別がつくようになったし、ボルドーとブルゴーニュの差もなんとかわかるようになった。
 でも残念なことに、もうフレンチのフルコースは重くて食べる気がしない。
 フレンチのフルコースを普通に食べられるようになったのは正直30代も半ばを過ぎた頃だったはずだ。なんとフレンチのフルコースを食べることができる期間の短いことよ!
 そしてやっぱり今でも10,000円を超える食事は高いと思うし、よほど美味しくない限りは食べる気はしない。
 40歳の頃は居酒屋の「飲み放題」は死んでも嫌だった。職場の忘年会でも後輩が飲み放題プランで予約してくると怒っていた。飲み放題の焼酎は翌日頭が痛くなるからだ。
 でも50歳の今、「飲み放題」5、000円の宴会には全く抵抗がない。
 死ぬまでに一度くらいはかの有名な「ロブション」で食べてみたいと思う。でもきっと死ぬまで行かないんじゃないかと正直思っている。
 今の僕は酎ハイは500円以内で飲みたいし、一人単価はあまり5,000円を超えたくない。
 50歳を超えたら値段なんて気にしないで好きなものを食べたり飲んだりできたらと思っていたけど、実際にその年齢になってみると全然違っていた。
 その上昔以上に安くて美味しいものが好きだし、美味しいけどそれなりの値段をするものに価値を見出すことが益々できなくなっている。