2月最後の土曜日27日に突然風邪をひいた。
 一年に一回は風邪をひく。今年はなかなかひかないと思っていたら、急に来た。
 土曜の午前中に走りに自宅の外に出ると、妙に身体が重い。毎日ではないが頻繁に走っているので、走り出すとその日の体調がわかる。
 しばらく走っていないと体がなまっていることがすぐわかるし、体調がいい日はスピードにも乗り、身体が軽く感じるし、前日に酒を飲むと身体は重い。
 その日は前の晩にお酒を飲まなかったにも関わらず身体が重い。
 おや、と思うが走っているうちに調子も上がってくるだろうと思いそのまま走り続けた。
 その感じはあまり変化しなかったが走れなかったわけではないので、そのまま5km程度を走り自宅に戻った。走る前は寝起きの感じが続いていてボーッとしていた。シャワーを浴びてもそのボーッとした感じが戻らない。
 そのうち休息に寒気。これはいかん、と熱を計ると38度。
 そのうち免疫力が落ちたのか花粉症の症状もひどくなり、鼻は詰まるは鼻水は出るわで苦しい。
 寝ていても口で呼吸するので口の中が乾く。その上数日まえに舌を噛んでしまった傷跡が口内炎のようになりとても痛い。
 うとうとと睡眠に入ると気道が狭くなっているからだろうかイビキをかき、そのイビキでまた目が醒める。鼻が詰まっていて息ができないことも相まって苦しいことこの上ない。
 これが翌日の朝まで数時間ごとに繰り返される。
 50歳になって初めての風邪。
 翌日近所のクリニックでインフルエンザテストを受ける。結果はネガティブでただの風邪だったことにホッとすたが、熱は下がってきているのに苦しいことには変わりがない。
 首まわりのリンパ腺あたりがパンパンに張っている。きって風邪の菌と肉体が今まさに闘っているところなのだろう。少しマッサージしようと触ると痛い。
 明らかに以前より回復力が落ちている。
 昔は風邪ひいても仕事を深夜までしてビール飲んで寝たら翌日はスッキリ治っていたように思う。
 特に生放送の仕事をすると緊張感で汗をワッとかいて、それで治ってしまうようなところがあった。
 もうそんな時代は遥か昔。自分では若いつもりでもこうして着実に肉体は衰えているのだと実感した風邪ッぴきだった。
 今これを書いているのは火曜日の朝、風邪をひいてから四日目。起きたばかりだから調子がいいが、油断はできない。
 年齢を重ねると未来が余生に変わってくる。
 定年まであと何年とか、あと何年生きていられるかとか。
 急逝する同世代の友人がいたりすると、ますますその感を強めるようになる。
 昨年50歳になった僕は「定年まであと10年」を改めて思い、この10年どう生きようかに考えを巡らせる。
 同世代で集まる飲み会などでは「残りの人生をどうやって生きるか」が話題になったりすることも多くなった。
 
 先日若い女優さんと話す機会があった、演劇や映画について語りながら彼女が目指す女優像のような話題になった。「リアリティのある女優になりたい」と自分のビジョンを語る彼女を眺めながら、僕はいつから未来について語らなくなったのかなと思う。
 そういえば僕だってああなりない、こんな仕事がしたい、こんな時代がこれから来る、などと語り合った日々もあった。
 そういうのを広義の青春の呼ぶのかな。
 
 人の相談に乗っていると自分のモノの見方がはっきりしてくることがある。
 最近ある舞台女優と話していた時、僕が気づいたことがあった。
 その女優が会話のなかで否定形で話すことが多いのだ。
 例えば「私って東京生まれじゃないから」とか「自分は女優に向いてないわけではないと思う」とかの言い方だ。それを聞いて僕は「自分は地方出身」とか「自分は向いている」と言ったほうがいいと感じた。
 その方が伝えたいことがはっきりしていて良い。
 人間というのはどこかに「逃げ」になるところを残しておきたい。
 挑戦をして痛い目に遭っても、どこか帰るところ確保しておきたいものだ。やはり地方出身でも東京に出てきた時に「自分は東京で一生暮らしていく」と決めて「故郷を忘れる」よりはどこかで自分が東京人ではないと言っておいて故郷に帰る余地は残しておきたい。
 才能があると思って演劇の世界を志してもなかなか成果が出なければ「向いてないわけではないのに・・・」と言い訳をしたくなる。
 でもどちらかと言えば「自分は天才なんだ」と根拠のない自信を持っているほうが成功するように思える。つまりは覚悟を決めるということかもしれない。
 どんな世界だって挑戦には勇気が要るし、「不退転の覚悟」というのは簡単じゃない。
 長渕剛だって東京青春朝焼物語の中で「今日から俺、東京の人になる」と歌ったのは、自分の故郷を忘れてここ東京で絶対に成功するんだ、という覚悟、それをわざわざ言わなければならない気持ちの表れだったろう。
 僕自身かつてある親しい人から「何かを指摘されると必ず『いや、そうではなくて・・・』と話を始めるところがよくない」と言われたことがある。いや、そんなつもりは無いんだけれど(笑)。
 そう、そういう事だ。自分がネガティブに捉える感情は自分自身で肯定しづらいものだ。
 自分のネガティブな感情を肯定することができるとき、初めて自分の新しい一面を発見できる。
 自分の嫌いな自分もやっぱり自分なんだと。
 そうすれば振り幅の広い人になれるのだろう。