4月から英会話を習っている。

 今をさかのぼる事19年前、1年間ニューヨークに住んでいたことがある。

 そのときに何となく喋れるようになったが、当然それ以降日本に戻ってから英語を使うこともなく、やっぱり何となくやってきた。

 たまに旅行に行った時も特に英語で困るようなこともなく、何となくやり過ごしてきた。でもどこかでちゃんと出来ていないとわかっていた。

 僕がニューヨークに住んで学んだことのひとつは「伝わるまで伝える」ということ。

 欲しいものがあってお店に行って、これが欲しい、場合によってはこれをいくらで買いたい、と意思表示してその思いを果たす。意外にこれが大変だ。言葉が通じなくて諦めてしまうこともある。

 ニューヨークに住み始めて間もない頃、バーでジンソーダを頼んだ。ところが来たのはジントニックだった。こんなときどうするだろうか?それまでの僕はたぶん「大して変わらないから」とそれをそのまま飲んでいただろう。

 でも、そのとき意を決して「これはジンソーダじゃないジントニックだ。僕が頼んだのはジンソーダだ。」と主張した。自分ではかなりの決意で言ったつもりだったが、ウェイトレスは「オー、ソーリー」とあっさり新しくジンソーダを持ってきてくれて拍子抜けした記憶がある。

 その日を境に僕は「伝わるまでしゃべり続ける」ということを覚えた。

 しかもブロークンで。

 だから実際には英語を喋れるようになったわけでは無く、言葉はそこそこに根性が付いただけだったのだと思う。

 それをもう少し何とかしたい、という思いで英会話を習い始めたのだが、僕の行っているレッスンは先生に質問されてそれをフルセンテンスで答えるのがパターンなのだが、今さらながらtheとaの使い分けとか、三人称のときには動詞にsを付けるとか、基本的なことが出来ていない自分に気づくし、最初につまづいたのは時制の一致、つまり過去形で聞かれたら過去形で返すという当たり前のことだった。これが出来ていない。

 要するに「あの本買ったの?」と聞かれているのに「あの本買ってる」と謎の答えをしているようなものか。

 まあ、50歳も過ぎて割と若い人たちと一緒に英語を習うのもこれはこれで新鮮で、少し若返ったような気分になるのである。

 仕事がら選挙になると特番である。
 今日も会社で選挙特番立会いなどなど。
 今回の選挙にあたり、現政権にある安定感や余裕のようなものが鼻に付く一方で、現政権に対してアンチな立場の中で展開するムーブメントにも驚かされた。
 もちろん本当のことはわからない。
 いや、確かに自民党が作った憲法の草案の中にある考え方の根本的変化には危惧の念を持っているし、憲法改正は今のところ反対なんだけれど、そういうことじゃない部分で驚いた。
 「油性ペンで投票用紙を書こう」みたいなキャンペーンとか、選挙をフェス化しようとしている人たちのこととか。
 こうしたムーブメントに対しては僕は賛成でも反対でもない。
 ときには良く理解できると感じるし、ときには全然わからないとも感じる。 
 陰謀論的なものがネット上で展開しているのはアンチ現政権の立場から書かれたものが多かったように感じたが、中にはかなり過激なものがあったし、読んだ人の中には傷つく人がいるような表現も多々見られた。
 誰かを守るようでいて違う誰かを激しく傷つけるようなことは、僕は好きじゃない。
 選挙結果がどうであれ、僕はそう思う。
 
 客観的視点なんてものは存在しないのに、いろんな選挙特番が客観的視点で作られている。
 もちろん真実じゃない。
 
 今日は下北沢のライブカフェにオムニバスのライブイベントを聴きに出かけた。
 イベントがちょうど始まる頃に到着、自分のお目当てのアーティストは3番目の出演。なので必然的に2組のアーティストの演奏も聴くことになった。
 元々こういうイベントは自分が目指す出演者の時間だけに行くより、少し前後に時間の余裕を持って行ったほうが新しい発見もあるものだ。
 この日も期待していない刺激をもらった。
 一組目はアコースティックギター伴奏の女性アーティスト。二組目はギター弾き語りの男性シンガーだった。
 一組目の女性シンガーはそれなりのキャリアもありそうな人。MCを聞く限りアルバムも何枚か発売しているようだ。歌もそれなりに上手い。高音がすごく綺麗に出る。でも恐らくその高音が自分の得意技であると自覚しているのだろう。高音を出すときにちょっとだけ得意気な顔になる。それが妙に鼻に付く。
 唄というのは不思議なもので生で聴くと、CDなど録音されたもので聴く以上の情報量がその演奏の中にある。綺麗な歌声であるにも関わらずその得意になって歌う様子が違和感となる。
 まあこういうことはよくあること。
 二組目の男性シンガーはちょっと面白かった。歌い始めるとギターのマイクと自分が歌うマイクの距離感が上手く取れず、すぐハウリングが起こってしまう。歌っている本人はいろいろ試行錯誤するがその様子がまた様になっていない。
 その理由は途中のMCで明らかになった。その日が彼の人生初ライブ、人前で弾き語りをするのが初めてだったのだ。
 すごい!果たしてライブを聴きに来て、「初ライブ」に出くわすことがあるだろうか?
 すごく緊張していると本人が言う。確かにそのように見える。
 楽器やマイクのセッティングの決まらなさぶりや、歌っているときの少しトンでしまったかのような眼差し。時たま難しいことをやろうとしてつまずく演奏。
 明らかに動揺している。その動揺を隠そうとして平然とした表情を装う。
 その事が生演奏を通してビンビン伝わって来る。
 
 ライブを観に行った時、自分の判断基準にしていることのひとつに「上手い下手という感想を持つようなライブはダメ」というのがある。
 素晴らしいライブは「上手い」「下手」を超越しているものだ。最高のライブの感想が「すごく上手かった」であるはずはない。
 彼の弾き語りには「上手い」「下手」でも語れない何かがあった。
 現時点ではそれが魅力と言うほどのものかどうかもわからない。ただ面白かったのだ。

 彼はそのうちライブに慣れていくだろう。でも慣れていくプロセスの中で失われてしまうこともあるのだ。
 慣れてない今この瞬間だからこそ、そこに「若さ」や「エネルギー」が表現されるであろうし、それこそが「今しかできない」ことだろう。
 また同時に、これこそが今の僕に出来ないことだ。
 そのことに大いに刺激を受けた夜であった。