今から20年前の1996年の今日。僕は年が明けてから旅立つ先のニューヨークへ思いを馳せていた。

 実際には1月に入ってから1本だけ収録を残していた森高千里さんの番組が最後の仕事だったが一区切りではあった。

 その年の9月にプライベートな問題を整理して一人になっていた僕は、そこまで自分なりに順調に来ていた人生を振り返ってみた。

 学校を出て就職して結婚して・・・。普通の人生。結構自分なりに満足もしていたし、自分が離婚するだなんて夢にも思っていなかった。

 僕はには妹がいるが、もしも妹がバツイチの男を連れてきて「結婚したい」と言ったら絶対に「バツイチなんて何か欠如してる奴に違いない」と猛然と反対したはずだ。

 その僕がバツイチになった。自分で自分の価値観を否定しなければならなくなったわけだ。そして自分の中で何かが弾けた。自分が真面目に積み上げてきた積み木がガラガラと音を立てて崩れ、呆然としている状態で思ったことは「好きなことやろう」だった。

 高校生の時に交換留学生に申し込もうと思い立ち、親に相談したことがある。僕自身はずっとアメリカに憧れを抱いていた。それは僕がジャズが好きだったからだ。ジャズの街ニューヨーク。

 交換留学生は必ずしも希望した街に行くことができるわけではなかったが、でもアメリカはアメリカだ。日本からニューヨークに行くよりは近いだろう、なんてことを考えて希望したのだ。

 意外なことに親は反対だった。心配だったのかもしれない。高校を留年してしまうこととか、向こうでどんな目に逢うかわからない。そんなことも考えたのだろう。高校の担任の先生も巻き込んでの反対だった。

 職員室で先生から説得されたことを憶えている。「留年して大学受験に不利になるぞ」みたいなことを言われたと思う。

 そこまでして行かせたくないのだ、ということを感じ取り、僕は交換留学に申し込むことを諦めたのだった。

 でもどこかにそれが割り切れない気持ちがある。きっとずっとそれが僕の心の片隅に残っていて、こういう瞬間に頭をもたげたのだろう。「好きなことやろう」という僕は「ニューヨークに行こう」と決意したのだった。

 色々考えたり、相談したりした結果、会社を休職するという方法を取り、1997年1月から1年間ニューヨークに行くことにした。

 それが20年前。大晦日の日はサザンオールスターズのライブを横浜アリーナに観に行った。そのあとはあるアーティストの家で水炊きをやり、そのまま泊まった。

 僕は元々仕事の相手とは友達になることは避けている。それは言いにくいこと言えない関係になるから。でもその時はもう自分はアメリカに行っちゃうし、二度と仕事することもないからいいかな、と思ったので家に泊まったりしたのだ。ちなみにその人とはその後も仕事することになる(笑)。

 あれから20年の歳月が過ぎた。

 休職を会社に願い出た時、会社の偉い人に「好きなことをやるためには嫌なことをやらなければいけないこともあるんだ」と引き留められた。

 僕はそれに対して、「十分嫌なことをやったので、今後は自分が好きなことからやっていくことにしました」なんて生意気なことを言った。

 でもそれは本心。あの日から僕は好きなことだけを何よりも優先してやっている。

 好きなことをやるために何かを我慢することなんてしない。

 好きなことだけをひたすらやる。それは今も変わらない。

 そんなことをふと思う、そんな1日だった。

 20年という時間が経っても自分では何も変わっていないつもりだし、これからも変わらないつもりだ。今でもやりたいことが山ほどあるし、最近は「死ぬまでにやりきれるかな?」なんてことも思うようになった。

 休職して渡ったニューヨークではサックスを吹き、クラブミュージックに身を浸し、その一方でインターネットラジオを作り、会いたい人には会いにいき、毎日のようにダウンタウンで呑んだくれた。

 その時の体験はきっとその時にしかできないものだったし、今思えばとても貴重な時間であり体験だったと感じる。

 もちろん今だって同じことができるけど、それは31歳の自分とはまた違う51歳の自分にしか出来ないことに違いない。

 2016年最後の日。今年もすごく楽しかった。一日一日がかけがえのない体験の積み重ねで今日まで過ごすことができた。

 そのことを感謝し、僕を支えてくれている家族や友人、いつも刺激を与えてくれている仲間たちにも改めて感謝し、大晦日の今日お礼を言いたいと思います。

 本当にありがとうございます。心から感謝しています。

 きっと来年の自分も好きなことしかしないワガママな奴だと思いますが、宜しくお願いします。皆様も良いお年を!

 

 「当てる」ということを改めて考えている。

 ピコ太郎のPPAPというヒットが生まれた。その当たり方は凄まじい。

 このヒットを側で眺めていると、何か違う生き物が突然変異のように生まれて急速に成長していくように感じる。

 人類ってこうやって進化したのかもしれい、みたいな。

 ここまでのヒットでなくても、世の中には様々なヒットが存在する。

 でも最近わからないのは何を以って当たった、ヒットが出たというのか。

 たまたま音楽を通じて知り合った大学生に「今何聞いてるの?」という質問の答えとして挙げてきたアーティスト名が一切わからなかった。

 僕がいい歳なことはわかっているけど、それでもわからな過ぎた。調べてみると(ネットで検索しただけだけど)結構支持されているグループだということがわかったり。

 最近AppleMusicで水曜日のカンパネラのプレイリストを聴いてみたところ、これまたほとんど知らないアーティストのオンパレード。

 おいおい皆んなどうやって音楽情報を仕入れているんだ?

 そもそも僕が水曜日のカンパネラのことを知ったのもかなり最近だもんなあ。

 感度が落ちているのか。。。

 最近好んで舞台を観に行くのだけど、劇団新感線、野田MAP、ケラリーノサンドロビッチなどなど、人気の舞台は本当にチケットが取れないし、昨日は中島みゆきさんの夜会を観せていただいたのだが、これまたプレミアムチケットである。

 でもこうした舞台の話題がテレビ、ラジオに上がることはあまりない。

 恐らく宣伝する必要もないくらいすぐに売れるからだろうけど。

 じゃあ、お客さんたちはどうやって情報を入手しているのか?

 僕自身はどうしているかというと、劇場でもらうチラシ→気になるものをネットで検索(この時点でHPが無いものはまず無い)→チケット購入、という段取りになる。

 自分がラジオの仕事をしているにも関わらず、一切テレビ、ラジオといったメディアが介在していない。

 これは由々しき問題だ。

 こうしたサイクルの中に近年メディアが入れなくなっているようにも見える。

 PPAPだってネット動画としてのヒットだもんなあ。

 結論は出ない。

 考え中。 

 

 少し前のことだが、朝井リョウさんの「何者」を読んだ。

 就職活動にまつわる物語だった。

 読んでいてあの苦い感覚を思い出した。

 今は充分過ぎるほど大人になってしまった僕が忘れてしまっていた感覚。

 僕自身は就職活動に出遅れたのだった。

 就職雑誌の資料請求ハガキは一枚も出さなかった。

 そもそもどんな仕事をしたいかの具体的なイメージを持っていなかった。

 なのにプライドばかりは高くて「自分にしかできないことは何か」なんてことを毎日ぐずぐずと考えていた。

 マスコミ志望の学生たちのなんかチャラチャラした感じも好きではなくて、それとは一線を画したいと思っていた。

 でも、いくらそんなことを思っていてもそっと出したレコード会社のエントリーには書類選考で落ちてガックリしていた。

 何も決まっていない焦りばかりが募り、無駄に時が過ぎていく。

 そんな記憶が「何者」を読んでいて蘇った。

 学生時代勉強もせずに遊びまわっていたヤツが有名広告代理店の就職を決める。

 そのことを耳にして、「同じマスコミでも僕は代理店志望じゃないから」などとうそぶいていた。

 でも心の中では友達たちと比較してバカにされるような会社には就職したくないと思う焦燥感があった。

 そして密かに就職試験に落ちまくる友人を心の中で分析して小馬鹿にする。そんな嫌なヤツになっていたことをも思い出す。

 そんな心のモヤモヤやプライドは会社に入ってからのいろいろなカルチャーショックに打ち砕かれ、数年を経て別人のようにになっていくことで記憶から消えてしまった。

 「何者」は就職活動中の学生の繊細な心理をよくぞここまで小説にしたものだと感心させられるものだった。

 僕自身あの頃は全員横並びで同じだと信じていたけれど、今、あの頃を振り返ると全てはもう18歳くらいで決まっていたと思うことがある。

 僕に限らず人それぞれの人生は必然に導かれ今に至っている。

 選んだ道しか人間は進めず、人生に「もしも・・・」はない。

 そのことを18歳の自分に教えてあげたいけど、きっと聞く耳を持たないんだろうなあ。