昨晩亡くなった友人が夢に出てきた。
 場所は自分の会社。以前自分のデスクがあったあたりで彼と雑談をしている。
 彼はグレーのセーターを着て、僕も彼も立ったまま話をしている。
 話している途中で僕は「彼は亡くなったはずでは?」と気づき、自分が目の前にしている人はもしかして幽霊ではないかと疑念を抱く。そこで彼に訊く。
 「今何やっているの?」
 彼は訝しげに僕を見る。その表情は僕自身が彼が亡くなったことを知っているのか知らないのかを探るような表情だった。
 「今はフラフラといろんなところに行ってます。」
 と彼は答える。
 そうか、物理的な空間に縛られることなく好きな場所に行けるのだな、この人は。
 そんなことを思いながら僕も彼の疑念を払う意図もあって、
 「いや知っているよ。いろいろとあったね。」
 僕は確かめるように彼の肩をポンポンと叩く。少し目の粗い編み方のセーターの感触が手のひらで感じられる。そうか、亡くなった人がこうやって目の前に現れる時にはこうして触ったりすることもできるんだ、などと妙に納得する。
 彼の表情は少しすっきりとして、軽く若返ったようにも見える。
 少しは楽になったのかな、と僕も安堵する。彼は自ら命を絶ったので何か思いをこの世に残したり、何かを憎んだりしていたのかと思ったけれど、そうでは無いようだ。
 そういえば彼はとても性格が優しかった。
 それでいてたまにちょっと強引なところがあって、すごく若い頃の飲み会帰りに自分が気に入った女性が自分とは全く逆の方向に住んでいるのに「同じ方向なんで送るよ」と言って同じタクシーに乗り込もうとしてみんなにたしなめられたりした。
 そんなエピソードを思い出す。でも彼は人に対して常に誠実で、彼のことを少なくとも悪く思っている人はいなかったのではないかと思う。
 いつだってニコニコと微笑み、何かいいことがあれば、「聞いてくださいよ」とおばさん的に近寄ってきて話を繰り広げる話好き。
 そんな彼本来の感じを取り戻したみたい。
 ふと足元を見ると彼は裸足。そうかここに歩いてきたわけじゃないから裸足なんだと思う。そして彼の後方に目をやるとはためくカーテンとその向こうが明るく輝く。
 彼はあっちの方から来たのだと思う・・・そのあたりで目が覚めた。
 
 不思議な体験だった。これまで亡くなった人がリアルに夢に現れたことはなかった。
 こうして彼は知っている人のところちょっとづつ回っているのかも知れない。
 でも彼の表情が落ち着いていて本当に良かった。
 夢を見てから丸一日が経ったがどんどん記憶が失われて行っている気がして、ここに書いておくことにする。特に誰かに伝えたいとか意図はない。
 
 

 最近amazon musicやiTunesとかで昔のフュージョンを聴いている。

 自分が中学生〜高校生だった70年代後半から80年代前半のもの。

 ライブ・アンダー・ザ・スカイというイベントがあった。田園コロシアムからよみうりランドイーストへと会場の変遷もあったが、かなりの動員をする野外イベントだった。

 AurexJazzFestivalというイベントもあった。場所は横浜スタジアムだった。僕はそこでジャコbig bandを初めて観て倒れたのだった。

 グラウンドレベルの席だったが後ろの方で、反響があって聞きにくく、ジャコの時には座席を無視して前方に出て行った記憶がある。

 僕がエンタメの仕事についてからこの時代を振り返ると、横浜スタジアムでイベントをやるなんて、その当時どれほどフュージョンがブームになっていたかがわかろうというものだ。

 先日渡辺貞夫さんのライブに行ったが、それは1980年のナベサダの武道館コンサートのセットリストを再現するライブだったが、よくよく考えるとジャズミュージシャンが武道館なんて、聞いたことがない。どれほど当時、渡辺貞夫さんがブームの渦中にいたかがわかる。

 僕はそれにやられたのだ。

 今、サックスを吹いているのだって決してジョン・コルトレーンやチャーリーパーカーのおかげじゃない。渡辺貞夫さんのせいだ。

 渡辺貞夫さんがチャーリーパーカーをコピーしていた話をきいてパーカーを聞き、コルトレーンを聞いたのだ。

 あの時代の音源を聴いているとそのクオリティの高さに驚かされる。

 今聞いても渡辺香津美のトチカは超名盤で色褪せないし、渡辺貞夫さんのカリフォルニアシャワーから始まる一連のアルバムは素晴らしい。

 聴いていると、レコードを買いに行き、家で針を落とし、その1回目の再生をカセットに録音、それをウォークマンで死ぬほどヘビーローテーションした日々。

 イーストでデイブリーブマンとウェインショーターの共演に狂喜したあの日。

 そういう興奮を最近味わっていないことを思う。

 僕の感性ピュアじゃなくなってしまったのか、それほどのクオリティの音楽が今はないのかわからないが、最近いいと思える音に出会えない。

 そもそも僕はアイドルにはまったことは一度もなくて、歌謡曲的なシーンには今ひとつピンと来ないタイプで、歌よりバックの音を聞いてしまう人なのだが、僕が好きなジャズという音楽自体がとてもつまらなくなってしまった印象もある。

 80年前後のジャズミュージシャンはみんな実験的で4ビートなんて古い!って感じがしていたのに、ウィントンマルサリスがそれを巻き戻してしまったようにも感じていた。もうウェザーリポートのようなバンドは出てこないのか、ジャコのような天才は出てこないのかな。

 僕はジャズが好きだけど、今のジャズに心震える瞬間が無さ過ぎる。

 あのときのジャズが凄かったことはイベントの会場の大きさを考えてもわかることだ。やはりソフトが強ければそれだけ人の心は動く。

 ジャズがクラシックになってしまったつまらなさ。

 僕はギシギシ音を立てて時代を切り拓いて行く音楽がやはり好きだ。

 だから今のジャズよりはEDMに惹かれるし、最先端のダンスミュージックに惹かれる。1990年代のドラムンペースには興奮したけど続かなかった。

 アメリカンポップスもマイケルジャクソンが死に、フロントライナーがいなくなってしまった。もうスリラーのような影響力のあるPVを誰が作れるのだろう?

 新しい音楽が聴きたい。

 今までに聴いたこともない音楽が聴きたい。

 最近の僕の願うことである。

 昨年はリオ五輪があり、2020年の東京オリンピックに向けての動きも活発になっている。トランプが大統領選を勝ち抜き、遂に今年就任する。それに伴い何故か株価も上昇、ここにきて日本も引きずられるようにして株価が上昇している。結局日本はアメリカの影響下にあり、経済的自主性など程遠いように思える。

 でもこれで景気が上昇するようにも思えない。というのは日本そのものが強いとは感じないからだ。

 いや、別に景気の話をしたいわけじゃない。何か大きい潮目がやって来ている感じているのだ。

 今から約20年前、インターネット黎明期、将来はITの発達によって明るい未来がやってくると誰もが思っていた。

 インターネットによって人間は時空を超えることができた。

 同時間帯の世界中の人と情報を共有することが出来るようになり、物理的距離は消滅した。

 またネット上のアーカイブを共有することによって世代間の差も消滅、時間を超えることが出来た。

 すなわち海外の人がyoutubeを見て、1980年に引退した山口百恵のファンになったりできる時代になったということだ。

 完全に時空を超えている。

 国境線をも超えてしまった。

 中国がいくら制限をかけても国外の情報は流れ込む。SNSを使った政治運動によってジャスミン革命と呼ばれる現象も起こった。スノーデン事件のように国家機密を暴露するような事件が起こったのもネットのせいだ。

 国家の権威が揺らいでいる。故に国家の権威が保証してきた貨幣価値も揺らいでしまった。

 行き詰まるユーロ。遂にイギリスがEUを離脱。ユーロという大実験は失敗の予感がしている。国境を簡単に超えてくる移民が問題となり、イスラム国によるテロの背景ともなり、移民排斥の動きも強まってきている。その象徴的な事件がトランプ大統領の実現でもあった。

 近代自由主義、民主主義が危機を迎えているとしか思えない状況になっている。

 インターネットの発達は結果として国家権威を失墜させ、再び権威の源泉を宗教に求める動きを助長している。

 ジャスミン革命の結果生まれたチュニジアがイスラム教国家であることを見てもそれが一つの流れであることが実感できる。

 宗教国家が増えていくのはまるで中世に逆戻りしているかのようだ。

 

 そんな不安を感じている僕が一つの希望の光として期待しているのが仮想通貨であり、ブロックチェーンシステムだ。

 仮想通貨は国家権威を根拠としない通貨価値の創造により成立し、それを支えるのがブロックチェーンシステムだ。

 この新しい技術により、再び宗教ではなく、お金が神様となれる可能性が生まれたと感じている。

 僕自身は宗教を否定するつもりは全くないが、ある宗教を信じて、それを価値の根拠として考えると必ず他の宗教を否定する考え方が現れる。その結果宗教戦争が起こった。今のイスラム国のテロだって、宗教戦争の一つに違いない。

 特定の宗教を信じていれば幸せになれるという考え方は他宗教の存在を疑い、多様性の否定を生む。

 

 排外主義を唱え、移民を否定し、イスラム教徒を排斥するトランプ政権の登場は国家権威失墜の不安からくる宗教的価値観の否定でありながらも、皮肉なことに資本主義的価値観から宗教的価値観への移行という現状を認めてしまっている。

 

 日本はアメリカとの戦争に負けたにも関わらず、戦後の日本にアメリカに憧れる人が数多く生まれたのは、アメリカという国の文化、エンターテインメントがあまりに魅力的だったからだ。

 これぞエンターテインメントのチカラだ。

 エンターテインメントこそが平和への大きい力に成りうると信じているからこそ、今後何をすべきかはそれを仕事にしている自分にとって大きい課題である。

 何から手をつけたらいいかまだわからないが、ともかく何かしなくちゃ、と思う年のはじめである。