昨晩放送された松任谷由実のオールナイトニッポンGOLDのゲストは小池百合子都知事だった。今回は取材対応やLINELIVEでの同時生配信もあり、最後まで番組に立ち会った。

 すごかった。

 もちろん松任谷由実さんというカリスマと小池百合子都知事というこれもまたカリスマ性のある政治家。普通に考えてもすごい組み合わせだ。

 でもそれ以上に、初対面の二人の会話の中には何かすごいエネルギーの交換があり、僕はその模様を目撃・体感することができた。

 先週、松任谷由実さんの苗場ライブにも伺い、ライブを観てそのあと打ち上げにも参加させていただいた。

 その時にも話し、昨晩のオンエアでも触れられていたことが、毎年のこのライブがどれほど過酷なミッションであるかということ。

 37年の歴史を重ねてきたが故に「これが最後かもしれない」とステージを見つめる観客達の視線の重さ、年とともに増える負荷、そしてこの負荷は決して減るものではないこと。それをまた乗り越えて行こうとする強さ。

 松任谷由実さんという人は僕がオールナイトニッポンを担当させてもらっていた26年前と同じく変わらない姿勢を貫いている。当時26歳だった僕は大いに刺激を受け、かけがえのない瞬間、時間を過ごすことができた。その記憶が蘇ってくるような濃い時間が昨晩のスタジオには流れていた。

 話題が小池都知事のお母様のことに及んだとき。小池都知事のお母様はエジプトで日本食のお店をやっていて、それを始めた時のお母様の年齢が還暦の頃だったとのこと。

 元々はカイロに留学していた小池さんをお母様が訪ねた時に一緒に食べたすき焼きにキャベツが入っていて、「こんなのは日本食じゃない!」と怒り、「それなら私が」となったのだそうだ。周りは止めたが決心は固く、その日本食のお店は20年続いたとのこと。

 そして話題は「還暦」に話が移り、小池さんが都知事に立候補したのも還暦を過ぎてから。「還暦過ぎると居直るところがあるでしょ?」とユーミンに投げかける小池都知事。「いや、私はまだ。居直ろうとしている途中かも」と応えるユーミン。

 学年でいうと一つ違いの二人。今の松任谷由実さんの苦悩の先に見えてくるものを先輩小池百合子が示唆する素敵な瞬間。

 二人が話し始めの頃に「女子校ノリで」と言っていたが、甲南女子出身の小池都知事と立教女子出身の松任谷由実さんの間にある共通の感性で二人の気持ちが交流した瞬間のようにも僕には感じられた。

 調べてみると小池都知事のお母様とお父様が亡くなられたのも小池都知事が還暦を越えた頃のようだ。還暦とは文字どおりリセット、一巡しての節目なのだろう。

 僕自身もその年齢まであと8年あまり。若い頃と同じく人生の先輩としての松任谷由実さん、そしてそのユーミンとのトークだからこそ感じられた小池百合子さんの人としての感性。

 素敵な時間だった。

 初対面の二人の最初は今ひとつ噛み合わなかった会話が最後にはぐっと近づいていく様子も本当に感動的だった。

 この放送は1週間以内であればradikoのタイムフリー昨日で聞くことができるので是非、ニッポン放送で探してもらえたら嬉しいです。

 僕にとっては示唆に富んだ”マジックアワー”のような時間だった。

 

 たまに近所を走る時、僕はゴールを神社にしている。そこにお参りしてランニングを終了にするのだ。

 この習慣は今の場所に引っ越してきてから12年ずっと続いているが、気づくのはその神社がいかにこの地域のコミュニティに溶け込んでいるかだ。

 毎日同じ時間にお参りしている人も何人かいるようで、顔見知りになるほどではないが憶えてしまった人も何人かいる。出勤途中で忙しいのだろう、境内まで入って来ずに、鳥居の外で一礼していく人もいる。

 日本人は無宗教だともいう。神社で七五三をして教会で結婚式を挙げ、お寺で葬式をする。ポリシーが無いようでもあるが、それだけ懐が深いとも考えられる。

 でもこうして神社で人々を観察していると、「見えないものを信じている」という部分においては共通なのではないかと感じる。

 神社に思わず手を合わさずにはいられない何かが日本で生まれ育った人にはある。

 知り合いには神輿を担ぐのが大好きで、いろんな場所で神輿の担ぎ手として活躍していて、祭りのシーズンは大忙しだ。

 こうした祭礼というのはしっかり人々の生活スケジュールの中に入ってきていて、それなしには四季の区切りがつかないようなところがある。

 ハレとケという考え方があり、もちろんハレがお祭りなわけだが、こうした日常の信仰こそが生活の基本になっていることは間違いない。

 こうした行動とイスラム教を行動原理としているはずのISの自爆テロや、清水富美加を出家させてしまった幸福の科学だって決して遠くないようにも感じるし、すごく隔たりがあるようにも感じる。

 今の僕にはわからないが、朝走って神社にお参りするとさわやかな気持ちになることだけは確かなことだ。

 

 解決できない問題を考え続けるのが「知性」で、答えがある問題の答えにたどり着く能力が「知能」。
 そんなことを最近本で読み、印象に残った。
 朝井リョウさんの「武道館」を読み、その中にも「正しい選択ってこの世にあるのかな?」という登場人物のセリフがある。
 「武道館」は武道館でのライブを夢見る女性アイドルグループの物語。恋愛禁止で何かあるとすぐスキャンダルになり、ファンからネット上で誹謗中傷されるアイドルグループのメンバーが葛藤しながら目標に向かって走る。その中で恋愛かアイドル科の選択を悩む場面での言葉が「正しい選択ってこの世にあるのかな?」だ。
 そして「正しい選択なんてこの世にない。たぶん、正しかった選択、しか、ないんだよ」「何かを選んで選んで選び続けて、それを一個ずつ、正しかった選択にしていくしかないんだよ」と続く。
 これを読んで冒頭の「知性」と「知能」の話を思い出した。
 織田信長は「人生五十年」と歌いながら舞を舞ったそうだが、僕はその年齢を過ぎ、未だに何が正しい選択だったかわからないでいる。
 でも少しだけ「この選択をしてよかった」と思えるようになってきた。
 もちろん、残りの人生を考えて後悔することばかりじゃ寂しいので、反省はするけど後悔はしないことにして、自己肯定に走っている部分もある。
 年齢を重ねれば見える景色がまた変わるのだろうと思って生きてきたが、むしろその逆で「人間て変わらない」と思わされる場面が多い。
 だから「武道館」の中の主人公たちのように、「正しい選択なんてない」と思える方がより自由になれるし、その「気づき」が早い方がより楽しいのだと思う今日この頃です。