全くSNS上への書き込みをしていませんでした。
前に書いたものから1年以上経っていましたが、本日が誕生日で還暦60歳を迎えましたので、何か記しておこうと思います。
今から60年前の1965年昭和40年は東京オリンピックの翌年で、太平洋戦争が終わってからわずか20年の時期。
僕自身の幼い頃の記憶には戦争に関することはほとんどなく、近所に残っていた防空壕の入り口がコンクリートで塞がれてそのまま残っていたり、祖父が戦後始めた自動車修理工場が軌道に乗り、どんどん大きくなっていったり、その場所でクルマが大好きだった男の子の僕は、いつも従業員に混じって修理の真似事をしていたり、そんなことばかりが思い出されます。
「バンパーを見るだけで車種を当てられた」などとのちに思い出を親戚が語っていたり、僕自身が祖父にとって初孫でとても可愛がってもらったのだと思います。
そうした環境のせいか、日産のスカイラインが当時のカッコいい車で、CMソングもよく憶えているし、「愛のスカイライン」というキャッチコピーも子供心にインパクトがありました。
自動車への興味は小学校に入ると薄れていってしまいその後は電子工作少年へと変わって行きました。
子供の頃になりたかったの小学校の文集などを読むと「電気技術士」と書いてあります。
エンジニアリングへの興味はその後の人生でもずっとありましたが、結局エンジニアと呼ばれる職業であったことはありませんでした。
小学校時代に機械への興味から電子工作へ、そして自分で作ったラジオでラジオを聴き始めたことが僕の今のキャリアへの始まりだった。そのラジオから流れてくる音楽に影響されて音楽を自分で演奏し始めた、そんな少年時代でした。
僕自身、自分のものづくりへの憧れが人生を通してずっとモチベーションになっていたと感じます。
でも、それは憧れであって、結局は「ものを作る人」にはなれずにここまで生きてきたように思います。
僕自身の職業はプロデューサーであり、新しいものが作られる「芽」を見つけて、それを大きく育てていく。そんなことが仕事になったようです。
高校時代は自分は学者になる、学問を仕事にすると決めていました。
今思えばおかしな事です。
60歳になった今感じていることは、まだまだ甘いということ。
まだ何にもやってないようにも思うし、結構いろんなことをやってきたようにも思います。
でも、何一つとして100%満足できたことは無いし、もしかするとこれからも満足などしないのかも知れない。
死ぬときにベッドの上で「俺の人生は〇〇だった!」と言って死にたいけど、実際は「まあ良くも悪くもこんなもんでしょ。だいたい満足かな」くらいのことを思うであろうことを今は想像しています。
そうは言いながら残りの時間はどんどん無くなっていく。
僕の父は69歳で亡くなりましたから、そう思えばあと9年。
9年なんてあっという間であろうし、出来ることは多くないと痛感しています。
さあ、今日から何をやろうか。
「明日死ぬとしたら何をやる?それが人生でやりたいこと」と友人に言われたことがある。
今日の僕に質問するならば、その答えは「今の仕事に全力であたる」なので、まとめるなら結構幸せな人生を送っているのだと思います。そんな60歳の始まり。