地位、お金、仕事、健康、愛、信仰、信念
色々なものを失い、救いの手が必要、という意味がある。
このカードの本当の意味とは少し離れるけれど、
昔、イタリアを旅したことがある。
ミラノからローマまで数日かけてバスで縦断した。
(さすがにナポリまで行く体力は残らなかった(笑))
その日は日曜日でミサが行われていたにもかかわらず、
バチカンの教会の大聖堂の一部に入ることを許された。
(当時はカトリック系の寺院ではミサは神聖なものとして、
異教徒は立ち入れなかった。
ちなみに「日本人はみな仏教徒」と思われているらしい。)
入ってみると、大きな聖堂の遥か遠くの祭壇で
賛美歌が歌われているところだった。
その時、ひざまづいて祈りを捧げる人の気持ちが妙にわかった。
はっきり説明できないけれど、
その歌声とその聖堂の空気、雰囲気が
そういう事をするのが当たり前に思わせるのだ。
本能に従うように、祈りを捧げる。
自分は同じことは出来ないので、せめて敬意を表する、
という意味合いで頭を下げ、旅行の無事を祈った。
顔を上げた時、少なからず、気持ちが晴れ晴れとしていた。
それも、その歌声と聖堂の空気がもたらしたものだと思う。
異教徒の自分がそう思ったのだから、キリストを信じてそのミサに
望んでいる人にとってはまさに「祈って救われる」ための場所
なのだと思います。
タロット(図はライダー版ですが)はその中にはキリスト教
以外にも様々な宗教を含んでいる。けど、ヨーロッパで成立した
ものである以上、その影響は無視できない。
そのあたりから「救いの場所=教会」となったのかな、と。
そして、その「救いの場所に入れない」ということだけで、
そうとう大きな喪失感があるのだろうな、と。
このカードを引くとき、相手が相当落ち込んでいることが多い。
その時、私は、そのココロの穴を補うことができるような
そういう言葉を捜すことにしている。