京都東山の泉涌寺への道には
たくさんの、関係の寺院が見られる。
源平合戦で、扇に矢を射た、那須与一(なすのよいち)の
ゆかりの寺である、真言宗泉涌寺派の即成院(そくじゅういん)も
そのひとつ。
那須与一は、源平合戦の屋島の戦いにのぞみ
平家の立てた、扇の的を射落とした事で
有名な源氏側の武将。敵、味方から喝采をあびる。
写真は関係のサイトから借りた。
即成院の入り口の門。
コロナ退散を願う、表示が目につく。
本堂には、阿弥陀如来像(重文)等が置かれている。
那須与一は,屋島に向かう際に
病にかかり、このお寺で治療して
戦いに臨んだとされる。
境内には、与一の手洗い場が設けられている。
与一の功績にあやかって
つくられたという、説明板が見られた。
即成院の歴史をたどると。
平安時代に、宇治の平等院が造られた時に
橘俊綱という、貴族が別荘の横に
仏堂を作つたのが、始まりとされる。
時を経て、秀吉が伏見城を作った際に
寺は深草に移る。さらに、明治に入り
現在の地に、その位置が定まったそうである。
この寺には、那須与一の御陵が置かれている。
一方で、出生地の栃木県や、神戸須磨区にも
御陵があるといわれる。
与一は、まだ若い頃に出家し
遁世したともいわれている。






