明智光秀を破った後
天下を、その手に納めた豊臣秀吉。
都だった、京都の都市政策として
土塁と呼ばれる「お土居」を作ったとされる。
その目的は、外敵からの防衛と
加茂川の氾濫防止だった。
現在もそのあとが史跡として
残されている。
お土居の規模は大きかった。
総延長は約20キロメートル・
東は鴨川、北は鷹ケ峯、西は天神さんのある紙屋川
南は九条あたりまでの、範囲といわれる。
このお土居に入るには、七つの入り口が設けられた。
七口といわれる。鞍馬口、東寺口、伏見口、粟田口、大原口などである。
鴨川の治水は、京都に都が出来て以来
為政者の頭痛の種であったいわれる。
白河法皇が、天下の不如意のひとつにあげているのは
有名なメッセージである。
現在の鴨川の流れ。
よく見ると両岸に治水の石垣が作られている。
もっとも、これは親水空間として
サイクリング用の道路の目途も。
お土居が出来たのは
天正十九年(1591)。
今から429年前になる。
江戸時代に入ると
このお土居は、無用の存在になる。
今は史跡として、知られるだけになっている。