最近、お茶屋から和洋食のレストラン街の
街並みとして変貌する京都の先斗町。
先日、三条通りから、四条通りへ続く先斗町を
見たり食べたりの感じで歩いてみた。
久しぶりであったが、いつも気になっていた
通りの上を絡み合う電線が、半分近くまで減少していたのに
びっくり。
上の写真は以前の様子。空中に大小の電線が
くもの巣のように、張りめぐらされた格好だった。
せっかくの、先斗町の情緒がなくなると心配だった。
上を見ないで、両横だけを見ていればいいのだが。(笑い)![]()
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工事は、三条側からの地中化が先行している
ように思えた。四条方面はまだ工事中の途上のようだ。
現在は半部近くが地中化の感じで早晩、電線が地下にくぐるのでは。
先斗町の名前の由来はポルトガル語のポントから
来ているそうである。安政6年(1859)に
芸者稼業の公の許可が下り
祇園と並ぶ花街として、その存在感を内外に示してきた。
先斗町は、幕末の志士の活躍の舞台にもなり
約50もある東西の路地にひそんだり
待ち伏せなどと、歴史の裏舞台にもなった。
昨今の先斗町の様変わり。
時代の流れといえば、それまでだが
店構えは、フアッショナブルで京都の伝統が
今風に生かされた思いがする。
余談になるが、京都は伝統的に野菜の産地である。
壬生菜や九条ねぎ、かぶらなどがよく知られる。
すぐきなどに代表されるように、「漬物の街」でもある。
電線が隠れた通りの道の整備は
まだこれからの課題。








