日本の移民・その面影 | 世情いろいろ

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日々、思いついた事、感じた事を写真をまじえながら
記録していきます。そして季節性を取り入れながら。ジャンルは
多岐、多彩にと思っています。

 

 戦前に、日本からの移民の拠点になった移住(移民)センター。

                  (神戸・中央区山本通3丁目)

 

日本にも、移民の歴史があった。

明治37年(1904)の日露戦争後に、東証の大暴落、大不況が起こり、この流れに沿う格好で、海外への移民の時代がやってくる。

 

 幕末には、ハワイへの移住が持ち上がるが、政変により挫折。

しかし、約100人ほどが自身による、ハワイに移住が実現した。

 

 一方、アメリカ本土への移住もあったが、政治的理由で

日本の移住者は、困難を強いられる事態が起きる。

 

 結局、こうした趨勢の中で、ブラジルを中心とする

南米への移住が本流になる。

 

 

 現在の移住センター前には、「ブラジル移民発祥地」の

石碑が今も残る。

 

日露戦争が終わった後の、明治41年(1908)に

ブラジルへの、最初の移住が始まる。

 日露戦争での戦利品のロシア船を、移民船に仕立てた

笠戸丸がその役を担う。約780人を乗せて神戸港を出港した。

 

 

笠戸丸が出港の20年後に、国立移民収容所(現在の移住センター)が完成。それまでは民間の移民宿がその役目を果たしていた。

 

 

 

 上の写真は、今の移住センターの館内展示品の様子。

 

1,2階に当時の移民の状況を物語る展示品などが

 多く並ぶ。

 

 

 笠戸丸の古い写真。

 

 

 

 ブラジルで開拓用に使用された用具。

 

 

 南米への移民、移住は太平洋戦争の終戦後も続いた。

昭和39年(1964)には、「神戸移住センター」と改称される。

 

 昭和46年(1971)になって、移住者が減少し船による

移住が終わる。この移住センターは、43年間の歴史に終止符をうち

閉鎖される。中南米へは、このセンターから25万人を送り出した

といわれる。

 

 

 

 神戸港を出る、最後の移民船のブラジル丸。

 

 

 最初の移民船の笠戸丸。

 

 

 今、イギリスのEU離脱問題は移民問題が底流に

あるといわれる。

 並行して、日本にも過去を振り返れば、厳しい時代があったという

事実を思いしらされる感懐だ。

 

 この神戸の「移住センター」(海外移住と文化の交流センター)は

無料で参観できる。