
茅葺きの屋根が、新緑の中にひょっこり見える。
京都の嵯峨野にある落柿舎(らくししゃ)。
俳聖の松尾芭蕉の弟子である、向井去来の別荘であった。
芭蕉はここを度々訪れて、「嵯峨野日記」を著している。
嵯峨野では有名スポットで、秋には紅葉を楽しむ人の
一つなっている。

今は新緑が映えてまた、別の趣を感じさせる。

落柿舎の建物は変転を繰り返している。
今の落柿舎は明治になって、嵯峨の旧家小松喜平次が
近くにあった庵を買い受け再建したもので
いわば第二世である。
芭蕉が往来していた頃の落柿舎は
その後、なくなり庵は各地に変転していたそうである。
「柿主や梢は近きあらし山」と去来の句に
ふさわしく今の地に残ったとのこと。

これは一昨年の秋の落柿舎。
柿の木が見える。この柿についておもしろい話が
残されている。
去来の頃の落柿舎には40本の柿のきが植えられていた。
しかし、台風で一夜でほとんどの柿の実が落ちてしまった。
ここから、落柿舎の名前が誕生したということである。

玄関の奧には蓑と笠が置かれている。
在宅と不在の区別のサインの役目を果たしたらしい。
俳諧の世界を彷彿させるような格好である。
デザインとしても、なかなかであるあるが。
芭蕉と去来という、師弟の間柄のゆかりの建物であるが
「奥の細道」に出たのは芭蕉が46歳の時だったそうである。
今は俳句と写真を取り混ぜた世界が流行のようであるが
俳句は衰える気配はない。
