嫌いな言葉は「自然と人間の共生」 | 世情いろいろ

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 「私が現代日本語で一番嫌いな言葉は

<自然と人間の共生>です」と、言われる方がおられる。

 京都・東山にある法然院の住職の梶田真章さんである。


これは今春、京都の大学で行われた公開シンポジウムで

 配布されたパンフレッに寄稿された文章を見いて

気づいた。

 自然と人間の関係をじっと見つめた

鋭い感覚のようなものを感じられるので

 ちょっと紹介してみたい。


梶田住職の寄稿コメントは。

 人間は、自然の一部であるにもにもかかわらず

人間を、別個の存在であるように捉える西洋流の

 明治時代以降の、悪癖はすぐに改めるべきだと説く。

そして、「自然とは目に見える対象でなく自分自身も

 生かされている生き物同士の支え合いの仕組みのことだという

意識を取り戻していきたい」と指摘する。


 さらに、「私のいのちと他のいのちが別個に存在して共生しているのではなく

私が生きている自体が他のいのちに支えられているいう共生の姿です」という。

 さらに、「里山とじつくりと向き合っていただくと生きとし生けるものには

ゆったりと平等な時間が流れていることを感じていただける筈です」と。


 法然院では、自然環境と親しむ活動を行う

市民グループ「フィールドソサェティ」があり

 今を見つめる、寺院と自然の融合を図る珍しい試みだ。

里山と向き合う大事さを訴えている。


 梶田住職は、毎朝花と向き合う事を日課とする

「二十五菩薩の散華」という務めを行っている。

散華(さんげ)とは、仏に供養するために四季の花を供える事。

 「花も人も同じいのち」とも述べている。

生け花の発想も、こいうところから来ていて

 池坊などはその典型だろうと思う。

 (今年3月、京大百周年時計台記念館で行われた

   日本森林学会主催の<これからの里山>シンポジウムから)