淀城の夢の跡 | 世情いろいろ

世情いろいろ

日々、思いついた事、感じた事を写真をまじえながら
記録していきます。そして季節性を取り入れながら。ジャンルは
多岐、多彩にと思っています。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

 日本歴史の中でただひとり

女の城主がいた。豊臣秀吉の側室で

 一般に淀君といわれるお茶々の方である。


淀君であるお茶々は、大阪城の落城の

 悲劇のヒロインとして有名。

お茶々は秀吉の上司である織田信長の

 妹お市と浅井長政の間にできた娘である。

秀吉は大阪と京都の中間地点にある淀に

 城を築き淀君に与える。主筋の信長の姪に対する

秀吉の手厚い処遇ともいわれる。

 淀君が淀城にどれくらい、住んだかははっきりしない。

城は小さかったが、美しかったらしい。

 秀吉にしてみれば、大坂ー淀ー伏見とつないで西の勢力から

京都を守る戦略的意図があったとも考えられる。

 ところで、いま京阪電車淀駅の横にある淀城は

伏見城の廃城後に徳川二代目の秀忠が築城したもので

 淀君の城は、いまの城より北500メートルくらいの

所にあった。いまの城には秀忠、家光親子が上洛の際

 宿舎にしていた。その後、稲葉丹後守正知の居城となり

明治を迎える。城石にはなぜか島津藩の印字の石も積み重ねられている。



 現在の淀城には井戸や洗面所跡があり、当時の面影も

うかがえるが荒れた状態で、修復、復元の動きもあるようだ。

 淀には戦後まもなくまで、広大な巨椋池(おぐらいけ)が

あったが、埋め立てられた。古くからその名をはせていた淀競馬場は

 京都競馬場に名前代わりしてから久しい。