「極楽が本当にあるのか、無いのか不思議に
思うなら宇治の平等院は行けばよい」とむかし
わらべうたに唄われた京都・平等院鳳凰堂。
日本における京都の位置付けと考えを述べた
人の著書のくだりを、省略しながら紹介したい。
「京都のお寺はいつも観光客でいっぱいです。
京都人にとってお寺は信仰の対象なのです。
本来、お寺を見るという事は、仏教の教えの
一端だけでも理解することだと思います。
京都は観光で生活していると言われることを
京都人は心よしとしていません。
京都人は京都を知っいただくために京都に
きてほしいのです。京都には京都のルールがあるという
そんなプライドをもち続けないと、どんどん京都がだめに
なってしまうことを京都人は知っているのです。~
それはさておき、一度、寒い日や雨の日など
人の少ない日に京都のお寺にお出かけください。
京都らしい風情が見つかると思いますし
京都人の心の寄りどころとして京都のお寺が
存在するということが、よくお分かりいただけると
思います。」
今日、官民ともどもの観光行政がしかれ、まして世界遺産に
登録された時代に、上記の考えが通用するのかどうかは
議論の余地が充分にあろう。かって、京都・三尾の寺境内で
弁当を広げようとしていた人が、坊さんに注意されていた光景を見たことがある。
マナーの心がけは当然ながら、「いらっしゃい、いらっしゃい」の業者、関係者の
経済本位の姿勢もいただけない。静かな京都がいいのだが。この兼ね合いが難しい。
※ 参考著書 京のあたりまえ(岩上力 光琳社出版)