平清盛・福原遷都の半年 | 世情いろいろ

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日々、思いついた事、感じた事を写真をまじえながら
記録していきます。そして季節性を取り入れながら。ジャンルは
多岐、多彩にと思っています。

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 日本の首都機能の所在地を

歴史的にさかのぼると、奈良、滋賀、京都

 鎌倉、江戸、東京と思い浮かんでくる。

しかし、半年の期間だったが今の神戸港近くにも

 平清盛によって福原京がつくられた歴史上の

いきさつもある。

 福原は現在の神戸市兵庫区の湊川公園の近くにある。

平家ゆかりの土地で一族の別荘のあったところ。
 
 政争によって平家一族の頂点に立った清盛は、独裁政権を敷き

当時の朝廷側の後白河法皇との関係が悪化。一方

 貴族の反感が高まり、源氏の反平家の挙兵が相次ぐ。

このため、清盛は治承4年(1180年)に京都から福原へ

 都を移した。余談になるが当時の政治形体は現在ほど

大きな規模で複雑でなく、簡単にできたものと思うがそれなりの当時の

 苦労があった事は推察される。東京の首都機能移転問題はかって

論議を呼んだが、今は鳴りをひそめているようだが。

 

 話を戻す。福原は南北に地形が狭く、都にするには

適さない事によりわずか半年足らずで、再び京都に都を

 移し変える。

そして、約3年後には、源義仲によって平家一族は追われる事になり

 福原を焼き払ってしまう。

平安末期から、鎌倉の時代に移行する内戦がしばらく続く。

 今の有馬街道浜側の入り口には、当時の福原京の遺跡が発掘されている。

また、港の近くには清盛塚などの歴史遺産も残されている。

 ここはいま、兵庫の津として市民プロムナードの色彩を持つようになってきている。


 ※塔は清盛塚 銅像は清盛。いずれも写真は神戸・兵庫運河付近。