ものごとには、光と影、陰と陽が、必ずあると思うのです。
どちらか一方だけなんて、あり得ない。
もちろん人間も。
私が、妙に健全で正しいことばかり言う人を、胡散臭く思う所以です。
そして、自分のことを思いっきり棚に上げて言いますが、
日本人て(といっても、外国人がどうなのかはわかりませんが)、
自分の中の「影」や「陰」の部分を、表現するのがすごく下手だな、と思う。
自分の中の、汚くて、ドロドロした部分を、
あって当然なものとして認めることから、ひたすら目をそらすというか。
やりがちなのが、自己嫌悪、自己憐憫。
自分も含め、これが大好きな人は、とても多い。
「どうせ私なんか…」とか「こんな自分が嫌だ」とか。
一見ものすごく謙虚なようで、その中身は、
自分のドロドロした部分を直視することにひたすら抵抗しているのであり、
「私は、本当はこんなはずじゃない!」と悪あがきしているのであり。
謙虚どころが、非常に傲慢、ナルシスティック、夢見がち…。
鬱々としつつも、そこはかとなく甘美な香り…。
あとは、ひたすらヒステリックに反応してしまう人々。
これも、自分の中のドロドロを、外側の誰かや何かにおっかぶせて、
責めたり、ギャーギャー言っているように見えます。
自分の正しさを証明するために、他者(の落ち度)を利用しているというか。
そもそも、本当に正しかったら、わざわざ証明する必要もないし、
もっと穏やかに、かつ毅然と、伝えるべきことを伝えればいいだけの話。
いつも誰かや何かを責めている人、クレーマーなんかがこのタイプでしょうか。
そしてもうひとつ、クレーマーなんかよりもっと巧妙に、
自分の中のドロドロを無自覚に垂れ流す人 —— そこはかとなく意地悪な人々。
自分の中の毒を、さりげなく(本当に巧妙に。自分をも騙して)他者に向けることで、
解毒をはかる人々。
こういう人の自己イメージは得てして「私はいい人」「私は問題ない人」なので、
これまた、自分のドロドロを、直視していないと思われます。
ある意味、いちばん厄介かもしれぬ。
しっかりとそこにあるものを直視しないから、認めないから、
こんがらがって変なことになる。
(良い意味で)所詮はこんなもん、と、
自分の中のドロドロした部分を嫌わず、認めることができたら、
いろんなことがもっとシンプルになって、
人はもっとやさしくなれるような気がします。