絶対なんて何処にも無い。
この歳になれば
そんなことぐらい承知の上でも
何かしらのきっかけを願ったり
どうにか元気でいて欲しいなんて
思ったりもするもので。
バーチャル世界の新感覚を
オジサンなりに受け入れている、、
SNSの環境にもだいぶ慣れた
つもりでいたけど。
知ったがゆえに気になる事とか
知らないフリで平然と過ごす事も
リアルな日常と同様に起きては
繰り返している毎日だけども。
理想と妄想を掻き立てて
想像で空想したような
不思議な世界を旅するように
見たことも会ったことも
話したこともない相手の存在を
ふと知りたくなる
そんな時もある。
これ以上は踏み込まずに
それ以上は語らない
マナーのような忖度も
場合によっては必要だとして
ひっくるめてめんどくさいなら
何も関わらないまま過ごすのが
賢く無難な選択だろう。
文字の羅列で伝える面白さは
思い違いや勘違いとか
言い間違いやお門違いを
リスクとしながら向き合う事か。
ちょっとした勇気のようで
ひょっとした根性のように
何より衝動的な勢いが
大切なんだとしても
それらを乗り越えた域で
何となくいいねと思える
感覚以外に理由が分からないし。
やっぱり根底の何かで
共通する感性があってこそなれば
興味となったり親身になったりで
ついつい感情移入して余計なクチを
出してしまう僕は痛くて重くて
辛くて怠い存在に
なっているやもしれません。
闇に投げ捨てられた本心を拾い
ヨシヨシとナデナデして宥めながら
磨く本音の数々が
怒りと絶望感に苛まれていても
驚かずに慌てず冷静に
変換するのが芸術だとして
この世には確かに有ることを
知る機会の場でもあるのが
人間社会なのか?
叫びに思える詩を
血文字で描くような巨匠の作品は
更新も無いまま滞り
触れることも関わることも
何も出来ない状態だ。
もっと上を眺めていて
ずっと先で待っているような
理解不能な言葉を連ねるその詩は
揺るがずブレずに乱れて整い
絶望を欲望にして渇望しているかのように
過激な表現が特徴である。
絶妙な錯覚を利用する感じで
全ての愚かさを一気に呑み込み
ゲロって痛みにのたうち回る
やうな、、鋭い言葉をぶっ差して
並べて何かを楽しんでいる
やうにも思えてしまうので
その際どい感性は無二で無双。
嘲笑っては自分だけの世界に
引き籠り心は誰にも開かない
防御術も自分流の拘りなのか?
オレには無理だな。
直感的にそう思って生きることも
自己責任なら自由な社会なので
自分の何かは守っている、、
つもりのままの自己満足でも
僕の喜びは十分なのに。
知らない域にも興味を持ったり
何とかカンとか生きることへの
執着を維持して頑張っている、、
その生き様は素直に
愛しいものなればこそ。
どうであっても
それはソレでしょうがない事なので
心配してもどげんもならん話だけども。
けど、元気であればまた強烈で
難解な文章を読んでみたい。
ネガティブな同志でクズやゴミの
愚か者への代弁者として
巨匠の美学は誰にも理解できない
領域なんだとしても
新たな更新を切に願ってしまう、、
その心境で僕はSNSの辛い側面を
感じているやもしれません。
