優しい対応に慣れると
楽しい事でも飽きてしまう。
苦しい事に慣れてしまうと
悲しい事は感じなくなる。
嬉しい事だと喜ばれても
明日も生きるつもりなら
笑顔と共に進んで
少し前へ出て振り返る。
彼よりマシだと思っていたけど
男は所詮、同じ生き物なのかもね。
初めは良く見えたのに
私、やっぱりこの程度だわ。
何かがズレても許せていたのに
今は一致しても違和感しかない。
言葉は簡単に並べられるし
誠意は何とでも言えるからウザい。
1人が良かったかもしれないけど
今更、やり直すきっかけが見つからない。
イイ人なんだけど何かが違うし
悪い人じゃないけど何処かが違う。
やっぱり私はバカだったな。
やっぱり私はどうしようもないな。
…
そんな理想を掲げていても
完璧に整った相手を
見つける方が無理だと思うけど。
漫画やドラマでも
ある程度の妥協を受け入れて
歩み寄り、近寄り、許し
赦して感謝してこそ物語だしね。
人間なんてお互い様で
困った時も
良い時もあるから
しょうがないよね。
悪い事は続いてしまうけど
信じられない程に
調子がイイ時だって
たまにはあるから不思議だよね。
一部分だけを見て
判断するには無理がある。
全体的に眺めて
決め付けるには早すぎる。
何度でも納得のゆくまで
理想の相手を探すのもあり。
ある程度の
流れを受け入れてこそ
理想なんだと決めることも
時にはありなんじゃないの?
さりげなく完璧を求めて
不満を感じているよりは
何げなく描いた理想を
探している方が楽しいとか?
諦めずに求め続けてこそ理想。
乱れることなく整えてこそ理想。
失わず損なわず示してこそ
理想的な対象ならば
まずは私自身を
理想に近づけて試す日常だ。
何処まで拘るのかを決めたなら
違っていても話し合えたら理想だな。
何かは貫き譲らず絶対に守り
間違えても護られてこそ理想かもな。
そんな程度の理想でも
ありがたいと伝えるだけ。
それ以外は考えない。
それ以上はやらない。
これ以上は出来ない。
これ以外は忘れる。
そんな理想でも
どんな理想でも
現実的ではない状態が
理想となっているならば
それはもしかすると
夢か希望かもしれんから
まずは踏み出して
少しでも歩いてみよう。
桜はきっと
見たその時が理想であり
見れない状況でも理想の景色だ。
散っても私の理想は残り
見えなくなった時期でも
私には理想的な花。
いつまでも
美しく思えるのは
儚い理想でも
散ることを恐れないから。
何が理想的かなんて
きっと誰にも分からない。
今みた景色や空や
今、読んだ文章とか
今、目にした誰かや
今、気が付いたことを
嘘でも戯言でも
理想なんです!
と勇気を出して
告げることかもしれない。
間違えてしまっても
履き違えてしまっても
そのまま
ありのままが
理想的に思える
春とは摩訶不思議な
季節なのですね♪


