罰 | 心の波

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ネガティブでも
幸せ探して生きてます♪

 
 
 
僕が確か小学生3年生の頃
ついつい、悪い事を繰り返してしまい
母が学校に呼び出されてしまった。
 
その日、家に帰ってから
母からの罰がかなり厳しくて
それなりに怖かったのを覚えている。
 

その次の朝早くに
僕は父から起こされた。
 
理由は僕の精神を
鍛え直す為だと言って

そのまま罰として
父と一緒に走る事になったからだ。
 
 
川沿いの道路を毎朝5キロほど
寡黙な父の後ろに付いてただ走る
というシンプルな罰だったが
 
続けるうちに罰は
ただの習慣になってしまい

父はマラソン大会に出場するほど
趣味として楽しむまでになったのだ。
 
人生とはいつ何処で
何が幸いするのか、なんて
本当に分からないものだな。
 
 
僕はもうすっかりと
走ることから遠ざかっており
 
今の弛んだ腹からは
走る姿なんて想像出来ないほど
 
ごく普通の残念な
中年おじさんになったけど。

 
そんな日々に
素敵な朝ランの発信を
よく読むようになってから

 

僕の幼い頃の記憶が

しっかりと蘇るので懐かしい。


 
朝早く起きて走る音が
リアルにふと聞こえて来たり
 
走る思いを読みながら
自分の記憶も走り出しているようだ。

 
都会の朝の風景なのに
見た事があるような錯覚に陥る

心地よい刺激に
擽られている感覚を持ってしまう。


早朝を走る匂いが
呼吸のリズムで変化するように

言葉のピッチまでが美しく
整って示されたような視線。
 
 
僕にとっては罰だったけど
父にとっては趣味となり
 
誰かにとっては私らしさで
私にとってはそのままの
自分らしさなのかな。
 
颯爽と駆け抜ける
その軽やかな感性のままが
そのものなのだろうか?




 
 
人はなぜ走るのか?
人はなぜ歩くのか?
 
人はなぜバイクでも走り
車でも列車でも 

いつまでも
何処までも

走り続けるのだろう。

 
私は気持ちばかりが
いつも先走るほど

ただせっかちなので

イライラしながら

迷走している愚者だけどね。



久しぶりに

愚かな自分への罰として

朝方、走ってみようかな。



たぶん、走っているつもりでも

苦しそうに、、

歩くだけかもしれないけど。



今、シューズを色々と

眺めています♪