施設にいる看取り期の母の尿量が少ないのであまり長くないと弟から連絡があって1ヶ月余り
3日後に面会に行って意識もあるし、食べさせてあげたら少しずつ食べられる、話も出来る母と会って安心した
でも施設長さんからはいつ何があってもおかしくない状態ですと言われた
食欲もなく、吐き気もあるから本人が食べたいだけ食べたら無理強いはしていないらしい
何もわからない状態の時、私は家族にグループLINEで知らせた
皆んなから心配してくれる返信があった
もしものために私も娘も喪服の支度をしていた
初孫だった娘
とても可愛がって貰った
長男は病気で入院中、遠くの病院なのに1週間に1度、付き添っていた私にお弁当とまだ販売し始めの高い紙おむつを買って来てくれていた
尿量を測るために紙オムツが必要だったのです
次男は上の子供達が出産の時期には学校や幼稚園があるので実家ではなく自宅で産後を過ごした
母も泊まりがけで来て家事と幼稚園の送迎をしてくれた
実家にいた弟が結婚して孫が産まれるまでは私の子供達をとても可愛がってくれた
弟は同居だったので母には全てにおいて甘えて任せていたから結婚してから実家に行くのも行きにくいほどだった
介護しているときは性格がキツイ母を嫌っていたので良い思い出がないから昔を思い出してしんどかった
心の中では母が嫌いだった
でも母に病院や施設で面会する度に私のことは忘れて穏やかで面白くて笑顔の母を見て私の心は落ち着いた
母が私をわからなくなったとわかった日は落ち込んだけどそれも受け入れた
髪も真っ白になり、ふっくらした母は可愛いおばあちゃんになった
最近思い出すのは楽しかったことばかり
通院介護をしましたが待合室で他愛もない親子の話をして久しぶりにお母さんと娘に戻った気がしていた
会話をしていてもすぐに忘れて何度も同じ話をしたり、孫達の成長した話をしたりなかなか会えなかったのでゆっくり話をしたのは通院介護で通った病院の待合室でした
私の名前は母が憧れていた先輩から貰ったと聞いたことがありました
綺麗で賢くて優しくて本当に素敵な人だったらしい
だからなのか長子の私はとても大切に育てられた
結婚の支度は中学生の頃から着物の反物、浴衣やかすりのアンサンブル、帯など少しずつ揃えてくれていた
思い出せば写真を見ても他の妹、弟よりも両親に愛されてきたのだなぁと思います
あんなに嫌いだった母の優しかったこと、楽しかったことを思い出して胸の中が暖かくなり感謝でいっぱいになりました
実家の解体も先週終わったそうです
自分が育った父が建ててくれた家が無くなるのは思ったよりも寂しかったです
わずか2年しか新しい家に住まないで急病で突然亡くなった父
その後母は一生懸命に育ててくれました
ありがとうお母さん
穏やかに過ごして欲しいです