義父は病院に入院してから検査をして病気が見つかり治療が始まりました
食べるものの制限があるので少し辛かったようですが出された食事はキチンと食べていました
そんなある日病院の義父から電話があり私に話があると言われました
次男はまだ2歳で病院に連れて行っても話にはならないのはわかっていましたから翌日、実家の妹が休職中だったので来て貰い病院に行きました
義父からの話は義父の兄から言われて納得したから伝えたいというものでした
もしもの事があって自分が亡くなった後何かとお世話になるのは嫁だ
気の強い妻のことを頼むと言われたのです
今、生命に関わる病気ではないと聞いていたのですが義父の思いは理解出来たのでわかりましたと言って帰りました
その後、義父は退院して何事もなかったように月日は過ぎました
2年後義父が体調を崩して病院で受診した所癌が見つかり入院になりました
義父がしんどいしんどいという度に看護師さんに連絡して痛み止めを点滴に入れて貰っていました
強い薬は心臓を弱めるからと体力と薬を考えて先生は最後まで調節してくれました
義母と旦那さんが交代で泊まり込み最後まで看とることが出来ました
私は次男がまだ幼稚園で送迎が必要で上の子2人も学校があるので付き添いは無理でした
義父は造船所で働いていました
船底で大きな機械の音の中で長期間働いていたので私が結婚した頃には難聴になり大きな声で話さないと伝わらないほどでした
退職後、職場ではそんな人が多く申請したらお金が支払われると言われていたそうです
義父は書類を貰い書き込むのが面倒らしく渋ってとうとう何も貰えなかったと義母は言っていました
義両親は亡くなるまで古い借家に住んでいましたが家を買う話は何度かあったそうです
便利な場所、日当たりも良いそんな新しい家に出会い家族で買おうと話し合ったのですが義父は職場に家を買うお金を借りる書類を面倒がりなかなか持って帰ってはくれなかったそうです
そして新しい家を買う話は無くなったそうです
義父は男ばかりの4人兄弟でした
長男は結婚後病気て亡くなったそうです
4男は戦争中女遊びをして性病になり死にかけたそうで子供が出来ない身体になって帰って来たそうです
次男と三男の義父は結婚しても子宝になかなか恵まれず男の子1人ずつ授かりました
次男の叔父の子供さんも子宝に恵まれず旦那さんと私が結婚して3人の子供を授かりました
何故義父は大切な時、面倒がって事を進めようとはしなかったのか
人生の分かれ道で自ら決めようとしなかったのか私にはわかりません
私には義父は孤独に見えました
耳が遠いからか会話もあまりなく何時もニコニコと孫を見て時に本を読んだり遊んだりしくれていました
義父から話が始まると必ず戦争体験ばかり
外食に義母が誘っても外の食事は硬いし、辛いからと留守番をしていました
そんな義父を残して外食に私達を誘う義母もどうかと思いました
お金もたっぷり貯めていた義母は何故義父に補聴器を買ってあげないのか不思議でした
私は時々生協で企画してあった集音器を買ってあげていました
義母は言っていました
見合いで決まったから結婚したの
好きとかなかった
でも義父は優しい人だったから良かったわ
義母は周りの人には優しく愛想も良く謙遜する人だったので良い人と思われていたようです
義父は幸せだったのかなぁ😅💦