歌舞伎に取り入れられた、累の物語。

元禄年間に書かれた仮名草子にある、
祐天上人の物語が原典。

茨城県常総市羽生町にある法蔵寺に伝わる、
累という女性の伝説が元になっているそう。

おどろおどろしい物語。
義父による、妻の連れ子殺害、
子、孫の代まで襲いかかる因縁⋅⋅⋅
詳しく書くのは、憚られるほど。
これがどうも、実話らしいというのが、
さらに恐ろしいところです。
(Wikipedia「累ヶ淵」で読むことができます。)

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この物語を取り入れて、
歌舞伎はいくつかの出し物を作りました。

その中で現在まで残っているのがこの、
鶴屋南北作、
「色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)」
通称「かさね」。
本来は、「法懸松成田利剣」という
長いお芝居の一部分。

「間苅豆」というのは、
苅った豆を背負った農作業帰りの累を、
夫与右衛門が、淵に突き落としたという
伝説にもとづいているのだそうです。


伝説では、
累は農婦、与右衛門はその入婿ですが、
本作では、
かさねは御殿女中、与右衛門は浪人です。

しかし、与右衛門はかつて、
かさねの母と密通し、
父の助を殺したという悪人。

今また、彼らの娘かさねと結ばれ、
その因果におののきます。
〈与右衛門:中村吉右衛門 かさね:中村富十郎〉


私が観た、「かさね」。

平成3(1991)年9月歌舞伎座
 かさね:坂東玉三郎 
 与右衛門:片岡仁左衛門
⋅⋅⋅美しすぎるお二人。

平成5(1993)年8月歌舞伎座
 かさね:中村勘三郎(当時、勘九郎)
 与右衛門:中村富十郎
⋅⋅⋅勘三郎のかさねはいじらしく、
後半は、もう思いきり突っ込んで。
富十郎丈は、かさねも踊れる役者。
自分も演じたいと思われたのか、
翌年9月に踊っています。

平成25(2013)年8月歌舞伎座
 かさね:中村福助
 与右衛門:中村芝翫(当時、橋之助)
⋅⋅⋅珍しく、兄弟揃っての出演、
息が合っていいものだと思いました。
この直後、福助丈は歌右衛門襲名を発表。
しかし長い病気療養に入られました。

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さて、伝説の方の
殺された累と幼子の霊は、
祐天上人により解脱し、
今は法蔵寺の墓所に眠るそうです。

当時は、
法蔵寺の裏手は鬼怒川の淵になっており、
累が突き落とされたことから、
「累ヶ淵」と呼ばれたそうです。

現在は川の流れが
変わってしまっているようですが、
やはりすぐ近くに、
鬼怒川が流れています。

茨城県常総市の
鬼怒川と小貝川に囲まれた地域は、
平成27年夏の水害が記憶に新しいです。