初代猿翁丈の押し隈@横山記念館2019.3.2

 
昨日訪れた横山記念館の庭園。
奥まったところに建つ、
小さな可愛らしい洋館。
こちらに太平洋戦争中、
初代市川猿翁丈が疎開していたそう。
初代猿翁丈は当時は二代目猿之助。
現⋅猿翁丈の祖父であり、
現⋅猿之助や中車からは曾祖父に当たる方。
 
洋館の中には、
初代猿翁丈の押し隈が残されています。
当たり役である「黒塚」の後ジテのもの。
 
終戦後、
栃木を引き上げる際に、お名残として、
市内にあった「栃木明治座」という劇場で
「黒塚」を上演したときのものだそう。
 
昭和26年春のことだそうです。
折しも昭和26年は、
戦災で焼失した歌舞伎座が再建された年。
 
 
同じく、飾ってある舞台写真は
やはり当たり役の「二人三番」。
息子である三代目段四郎との競演。
 
歌舞伎座新開場の
昭和26年1、2月に上演されたようなので、
そのときのものでしょう。
 
写真中央に写る子役は、
「附千歳」として出演していた、
当時⋅團子、現⋅猿翁と思われます。
 
戦時中、この仮住まいで
猿翁丈はどんなことを思ったのでしょう。
 
ちなみに猿翁丈はその後、
昭和30年芸術院会員となり、
中国、ソ連の海外公演などを
精力的にこなしています。
 
昭和38年に孫の團子に
三代目猿之助を譲り、
襲名公演の翌月に亡くなりました。
 
この洋館、
細部にも、こだわりが見られる造りです。
栃木は蔵の街であるとともに、
古きよき時代の洋館が残る街です。