浅草寺本堂。

浅草寺には折に触れお参りしますが、
近年は人出が多く、
本堂にたどり着くまで大変なほど。

この日は午前の早い時間だったため、
まだ、人は少な目でした。

浅草寺の次は、
お隣の浅草神社を忘れずに。

浅草界隈の建物を語るのに、
東京大空襲の被害については欠かせません。

浅草寺は焼け落ちてしまったそうですが、
こちらの浅草神社は
奇跡的に火災を免れたそう。


裏手の被官稲荷へ。
江戸末期の侠客 新門辰五郎が、
病に伏した妻のために建立したそう。
その後奥さんは本復したそうで、
霊験あらたかと信仰が深い神社だそうです。

瓦屋根の下に、茅葺きの本殿があります。
こちらも
戦前から残されているもののようです。


狐の像の台座に、歌舞伎役者の名前が⋅⋅⋅
歌六、米吉とありますが、
肝心の代目が読めません。
向かい側の台座に、
吉右衛門、時蔵とあるので、
この米吉は、十七代目勘三郎です。

(⋅⋅⋅中村勘三郎との文字が読めますが、
まだ十代の米吉時代から
勘三郎の名跡を
預かっていたのでしょうか?)


浅草寺の境内にある交番。
味のある建物、
古そうですがいつ頃のものでしょう。
調べたのですが分かりません。


小高い丘の上にある弁天堂へ。
背後にはスカイツリー。

お堂は普段は閉まっていますが、
弁天さまのご縁日である巳の日には、
開帳されるようです。

上の写真の右手に写っているこちら。
「鐘は上野か浅草か」の鐘は、
これなのだそうです。

空襲で鐘楼は焼け落ちましたが、
鐘は残り、
戦後に鐘楼が建て直されたそう。


仲見世通りに戻って。
「賀正」と書かれた絵看板は、
亥歳にちなんで斧定九郎。

亥と間違えられ、鉄砲で撃たれる役。


「新春浅草歌舞伎」の公演が、
ここから近い浅草公会堂で行われています。

ポスターが
あちこちで目につきました。
大河ドラマ「いだてん」のポスターも。