近所にある神社の裏手に、
「畳塚」という碑がありまして…
切腹した武将の
血染めの畳が埋められている…
という言い伝えがあり、
昼なお薄暗いその場所は、
何となく近寄るのも憚られる場所でした。
先日、こちらの展示を見てきました。

鳥居元忠公は、
徳川家康に若い頃から仕えた臣下であり、腹心の友。
関ヶ原の戦いの前哨戦である山城伏見城攻めで、
自ら捨て石となって戦い抜き、
家康への忠義を果たしました。
敵に囲まれ自害した元忠公の血で染まった
伏見城の畳は、
家康の命により、江戸城の伏見櫓に置かれました。
明治になり、江戸城の明け渡しにともない、
元忠公にゆかりの深い、
壬生藩鳥居家のこの地に納められたそうです。
壬生藩鳥居家の初代鳥居忠英は、元忠公の子孫。
元忠公を祭神として祀るのが、精忠神社。

元忠公の遺徳を偲び、
当時は珍しかった武者行列が、
昭和の初めまで行われていたそう。
この展示を見た後、
精忠神社と畳塚をお参りしてきました。
血染めの畳の経緯を知り、
歴史の大きな転換点のゆかりの品が
身近なところにあることに驚きました。
これまでは気味が悪いと思っていた畳塚にも、
親しみを感じるようになりました。(2.5)
「畳塚」という碑がありまして…
切腹した武将の
血染めの畳が埋められている…
という言い伝えがあり、
昼なお薄暗いその場所は、
何となく近寄るのも憚られる場所でした。
先日、こちらの展示を見てきました。

鳥居元忠公は、
徳川家康に若い頃から仕えた臣下であり、腹心の友。
関ヶ原の戦いの前哨戦である山城伏見城攻めで、
自ら捨て石となって戦い抜き、
家康への忠義を果たしました。
敵に囲まれ自害した元忠公の血で染まった
伏見城の畳は、
家康の命により、江戸城の伏見櫓に置かれました。
明治になり、江戸城の明け渡しにともない、
元忠公にゆかりの深い、
壬生藩鳥居家のこの地に納められたそうです。
壬生藩鳥居家の初代鳥居忠英は、元忠公の子孫。
元忠公を祭神として祀るのが、精忠神社。

元忠公の遺徳を偲び、
当時は珍しかった武者行列が、
昭和の初めまで行われていたそう。
この展示を見た後、
精忠神社と畳塚をお参りしてきました。
血染めの畳の経緯を知り、
歴史の大きな転換点のゆかりの品が
身近なところにあることに驚きました。
これまでは気味が悪いと思っていた畳塚にも、
親しみを感じるようになりました。(2.5)