小山城址、
1100年代半ばから1600年代初頭まで、城があった場所。

別名、祇園城と言うらしいです。

小山氏の城なので小山城は分かるのですが、
祇園城の由来が分かりませんでした。
今は城の建物もなく、高台の広い敷地と、
切り立ったお堀跡が往時を偲ばせるのみ。
この赤い橋の下は、本丸のお堀。

大きな木もたくさん。

ヒマラヤ杉。

先にこの実を見つけたので、木の存在に気づきました。
日本にヒマラヤ杉が入ったのは明治年間だそうなので、
これはきっと、後から植えられたものです。
銀杏。

ここでは中国風に、「公孫樹」と表記するそう。
低い位置から枝分かれしており、
ひこばえがたくさんで出ている特徴的な姿。
落城の際、
姫が身を投げた井戸から生えたという伝説があるそうです。
これらの樫の木も、見上げるほどの大木。

ここは、2つめのお堀の上。

お堀は全部で3つ残されているようです。
城址の西側は思川、
自然の地を生かした要塞だったようです。

徳川家康の「小山評定」の地は、
現在の市役所内にあるそうです。
1100年代半ばから1600年代初頭まで、城があった場所。

別名、祇園城と言うらしいです。

小山氏の城なので小山城は分かるのですが、
祇園城の由来が分かりませんでした。
今は城の建物もなく、高台の広い敷地と、
切り立ったお堀跡が往時を偲ばせるのみ。
この赤い橋の下は、本丸のお堀。

大きな木もたくさん。

ヒマラヤ杉。

先にこの実を見つけたので、木の存在に気づきました。
日本にヒマラヤ杉が入ったのは明治年間だそうなので、
これはきっと、後から植えられたものです。
銀杏。

ここでは中国風に、「公孫樹」と表記するそう。
低い位置から枝分かれしており、
ひこばえがたくさんで出ている特徴的な姿。
落城の際、
姫が身を投げた井戸から生えたという伝説があるそうです。
これらの樫の木も、見上げるほどの大木。

ここは、2つめのお堀の上。

お堀は全部で3つ残されているようです。
城址の西側は思川、
自然の地を生かした要塞だったようです。

徳川家康の「小山評定」の地は、
現在の市役所内にあるそうです。