秀山祭九月大歌舞伎、昼の部の演目、「競伊勢物語」。
上演まれな演目とのことですが、
役者が揃い充実した舞台を見せています。

「競伊勢物語」という演目の成立した背景などについて
気になることがあり、少し調べてみました。

まずは、あらすじです。*************

文徳帝(もんとくてい)の跡目争いで、
朝廷では惟喬(これたか)親王と
惟仁(これひと)親王が対立していました。
大和国春日野に住む小由(こよし)の娘信夫(しのぶ)は、
玉水渕で惟喬親王方に奪われていた神鏡を
銅羅の鐃八(にょうはち)と争いながら手に入れたのも、
夫の豆四郎(まめしろう)が惟仁親王方の旧臣の子であり、
忠義を立てさせたい一心からのことでした。
一方、紀有常(きのありつね)が小由の住居を訪れ、
信夫を返してほしいと申し入れますが拒まれます。
信夫は実は有常の娘で、訳あって小由に託していたのです。
有常が今、自分の娘として育てている井筒姫は、
実は先帝の子であり、在原業平と深い仲。
惟喬親王はそうとは知らずに井筒姫を所望するので、
二人を助けるために、
有常は姿形のよく似た信夫と豆四郎に自らの思いを伝え…。
王朝時代を舞台に、
「伊勢物語」の趣向を巧みに取り入れた作品です。
(「歌舞伎美人」より)

************************

「競伊勢物語」が題材としているのは、「伊勢物語」。

「伊勢物語」は成立年代、作者ともに不詳ですが、
「源氏物語」より古い、と言われているそうです。

その、「伊勢物語」のうち、「筒井筒」の段は、***

「筒井筒 井筒にかけしまろがたけ 過ぎにけらしな妹見ざる間に」

「比べ越し振り分け髪も肩過ぎぬ 君ならずして誰かあぐべき」

幼馴染みであった二人が、大人になるにつれ
恥ずかしがって言葉も交わさなくなった。
しかし、結婚相手と心のうちに定めていたのは、
お互いのことであった。


…高校の古文の時間に勉強しました。
古文の先生、初老の男性教諭でしたが、
幼馴染みどうしの淡い恋を
遠い目で語っていましたっけ…

教科書で勉強したのはこの部分までですが、
めでたく結ばれた二人の続きの話がありました。

夫の心変わりと浮気(当時は一夫多妻制でしたから、
「浮気」の感覚はないのかもしれませんが)、
妻の変わらぬ思い、その心に打たれた夫が
妻のもとに帰ってきたことなどが書かれています。

伊勢物語の主人公は、
在原業平であると言い伝えられているそうです。


次に能の「井筒」です。
世阿弥により、室町時代に成立しました。

能「井筒」*******************

諸国を旅する僧が大和の国の在原寺に立ち寄った。
在原業平とその妻のために祈っていると、里の女が現れる。
僧の問いに答えて女は、
業平とその妻である紀有常の娘の恋物語をする。
その女は、紀有常の娘の霊であった。

夜も更け、僧が仮寝をすると夢の中に先ほどの女の霊が現れる。
女は業平の形見の冠、直衣を身につけて舞い、
井筒の中に自分の姿を映し、業平の面影を見るのであった。

************************

時代を経て、いよいよ歌舞伎の「競伊勢物語」の成立です。
「競」の表記は「だてくらべ」、「はでくらべ」の他、
「すがたくらべ」、「くらべこし」などと読ませるようです。

安政4(1775)年、奈河亀輔作、
大阪中の芝居で初世中村歌右衛門らにより初演されました。

史実では、紀有常の娘は在原業平の妻ですが、
歌舞伎では実の子は信夫という名で、
東北にいるときに小由に預けたという設定です。
有常は先帝の姫宮である井筒姫を預かり、
自分の娘として育てており、
井筒姫の恋人が在原業平ということになっています。
主筋である井筒姫と業平を守るために、
自分の娘信夫と夫の豆四郎(実は業平の家臣の子)を
犠牲にするという、歌舞伎らしい筋立てになっています。


吉右衛門さん、立派で情のこもった有常でした。
父、松本白鸚も演じた役だそうですが、
その立ち姿、表情が白鸚丈によく似て見えたときがありました。
(私は白鸚丈は写真や映像でしか見ていないのですが。)

吉右衛門さんは今回の秀山祭について、
「今は少しずつ舞台が回っているところで、
われわれが舞台裏に行きつつある…」
ということを、一種のユーモアを交え
おっしゃっているようです。

確かに、今回のような充実した舞台を、
次の世代でも…とは
すぐには考えにくい状況です。

だからこそ、
若い世代に伝えたいものがたくさんおありだと思います。

今回共演した染五郎さん、菊之助さんに
その思いはしっかり伝わって行くと思います。