勘九郎(十八代目)は

この頃の相手役の女形として、
坂東玉三郎丈と

よく共演されていました。


1990年3月の「鰯賣戀曳網」が

最初だったでしょうか。


その後も「一本刀土俵入」、

「権八小紫」、「廓文章」などなど。


また「梅ごよみ」では

女形どうしの共演もありました。


美しくすっきりとした姿かたちの

玉三郎と愛嬌の勝った勘九郎とは、

失礼ながら見た目はややミスマッチ

のように感じましたが、
息の合った舞台を見せてくれました。


この頃に見た勘九郎の舞踊では
「棒しばり」や「高坏」などの

おかしみのある松羽目物、
「紅葉狩」の山神や更級姫、
「六歌仙」の文屋などが

特に記憶に残っています。


「鏡獅子」では、

いつもの愛嬌を少しも見せず、
格調高く踊り抜いていた姿が

印象的でした。


勘九郎の出演した

忘れられない舞台として、
・・・大阪中座での「天下茶屋」(1993年)
中座の2階か3階席でした。
4人定員の升席でしたが、

そんなに混み合っては

いませんでした。


夜の部はもうひとつ、
「滑稽俄安宅新関」という
ほぼパロディ、おふざけのような
お楽しみ演目がつき、
三津五郎(当時八十助)などとともに
出演していました。

劇場内の薄暗い雰囲気と、
一歩外に出た道頓堀の
毒々しいほどの賑やかさの対比も
印象的でした。
 

・・・渋谷での第1回コクーン歌舞伎、
「東海道四谷怪談」(1994年)



勘九郎が出演していてもいなくても、
毎月欠かさず歌舞伎の舞台を
楽しむ生活が続きました。


しかし、1998年頃から都合により
歌舞伎を見ることから離れました。

この間、
2000年には平成中村座の設立、
2005年には十八代目中村勘三郎襲名
と、大きな出来事が続きましたが、
私にとってはテレビの向こう側の
遠い出来事になっていました。