播磨 一色構居(安養寺) | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

①一色構居・安養寺②安養寺山門③安養寺本堂④宝篋印塔

 

訪問日:2024年1月

 

所在地:兵庫県加古川市

 

 一色氏といえば清和源氏足利氏一門や、美濃土岐氏一門(斎藤義龍も晩年に一色氏を名乗った)が思い浮かぶが、播磨の一色氏は赤松氏の一族のようだ。

 

 藩政時代には加古郡には一色村と中一色村があり、明治22年(1889)の町村制施行により、一色村は新在家村などと合併して平岡村(現・加古川市)に、中一色村は六分一村などと合併し・天満村(現・稲美町)となった。

 

 「一色」という地名は日本全国で見られ、愛知県に特に多く、岐阜県、三重県、静岡県といった東海地方において現在も地名としてよく残されている。

 

 荘園において1種類(一色)の賦課のみを負担していた田地を意味する「一色田」に由来するといわれる。名田と違い、公事・諸役を免除されて年貢のみを賦課されるが、一般に斗代(年貢徴収割合)は高かった。

 

 また、年貢のみを負担することから、荘園領主直属地という意味で用いられることも多かった。これが各地で地名化し、さらにこれを家名とする土豪たちが現れたと思われる。

 

 

以下、現地案内板より

 

一色構居跡

 

『播磨鑑』(宝暦12年)に

 加古庄在一色村領主一色右馬頭時則小松原時忠三代ノ孫他

とあり、『播州古城蹟集録』には

 一色城一色村城主一色右馬頭時則小松原時忠三代孫なり

と記録されている。

 

平成3年3月 加古川市教育委員会

 

 

宝篋印塔

 

 安養寺には、二基の宝篋印塔がある。うち一基は、花崗岩製で無銘、もう一基は、凝灰岩(竜山石)製で永正14年(室町時代後期)の銘がある。

●花崗岩製の塔

 この塔は、無銘でやや小さく相輪の上半部を欠いているが、形はよく整って立派である。正面格狭間中に宝瓶三基蓮を浮き彫りしている。高さ123㎝、造立年代は少なくとも室町前期をくだらないだろう。

●凝灰岩(竜山石)製の塔

 この塔は、永正14年(室町時代後期)の銘があり、造立年代がはっきりしているが、相輪の上半部を欠いていて風化が激しく造りもやや粗雑な感じがする。

 

昭和58年3月 加古川市文化財保護協会