安芸 吉田陣屋 | ゆめの跡に

ゆめの跡に

On the ruins of dreams

①左下辺り吉田陣屋②清神社③興禅寺跡郡山公園

 

訪問日:2013年3月

 

所在地:広島県安芸高田市

 

 浅野長厚は天保14年(1843)浅野家分家の浅野懋績(広島藩7代藩主・浅野重晟の4男である長懋の子)の4男として生まれた。

 

 従兄の浅野長勲(長懋の8男である懋昭の長男)とともに広島新田藩5代藩主の伯父・浅野長訓(長懋の5男)の養子となる。

 

 安政5年(1858)長訓(茂長と改名)が浅野宗家の家督を継ぎ広島藩11代藩主となると、長勲が広島新田藩の6代藩主となる。

 

 さらに文久2年(1862)長勲(茂勲と改名)が改めて宗家の養嗣子となると、長厚が広島新田藩の家督を継ぎ7代藩主となった。正室は長勲の姉妹を迎えている。

 

 広島新田藩は広島藩4代藩主の浅野綱長の3男・浅野長賢が享保15年(1730)蔵米3万石を分知され立藩したが、封地は特に定められず、藩主は江戸定府であった。

 

 文久3年(1863)長厚は幕府の命令により、長州藩毛利氏に備えるため、その故地・吉田郡山城の麓に吉田陣屋を築いた。

 

 幕末期は宗家と行動をともにし、明治2年(1869)版籍奉還の際に本家と所領を合併し、広島新田藩は廃藩となり長厚は華族に列することも辞退した。

 

 明治6年(1873)長厚は31歳の若さで父に先立ち死去した。父・懋績(1816-75)は学雲林と号し、画家として活動した人であった。

 

 弟の浅野長之(1864-1947)は長勲の養子となり、後に宗家の家督を継いだ。同じく弟の中川久任(1871-1935)は中川伯爵家(旧豊後岡藩主家)の養子となり家督を継いだ。