兵庫県 旧国鉄高砂駅周辺 | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

イメージ 1①国鉄高砂駅跡
イメージ 2②腕木式信号機
イメージ 3③転轍機

 大正2年(1913)に加古川の舟運を代替する目的で設立された播州鉄道(のち播丹鉄道に譲渡)は加古川ー西脇市間の他、支線として高砂線(加古川ー高砂)・三木線(厄神ー三木)・北条線(粟生ー北条町)・鍛冶屋線(西脇市ー鍛冶屋)を有していたが昭和18年(1943)に全て国有化された。

 

 最盛期の国鉄高砂線には旅客駅として途中、野口・鶴林寺・尾上・高砂北口の各駅が設けられた他、貨物専用の高砂港駅があり、三菱製紙・鐘紡・鐘淵化学・三菱重工業・神戸製鋼所・キッコーマン・国鉄の各高砂工場に専用線が引かれていた。

 

 しかし時代の変遷により昭和59年(1984)2月に高砂港駅と全ての貨物営業が、12月には全ての旅客営業も終了し、高砂線は廃線となった。廃線跡は道路などに転用され、Googleマップでもその跡を辿ることができる。高砂駅跡はロータリー状になっており、動輪が置かれている(写真①)が、これを使用するバスも今はなく、遊歩道を少し歩くと工場への専用線との分岐地点に腕木式信号機(写真②)と転轍機(写真③)が残されている。

 

イメージ 4④梅ケ枝湯
 その遊歩道の東側に見える梅ケ枝湯(写真④)は今も現役の銭湯で、入口正面側はそれほどでもないが、写真のように背面側は古い木造建築に煙突などには煉瓦が用いられており、独特の景観を見ることができる。
 
イメージ 5⑤十輪寺
イメージ 6⑥十輪寺
 ロータリーの西側の十輪寺(写真⑤⑥)は弘仁6年(815)空海により創建された真言宗の寺院であったが、建永2年(1207)法然が讃岐への配流途上にここに立ち寄り、地元の漁師・八田治部太夫夫妻らに説法したことから浄土宗に転換したという、法然上人二十五霊跡第三番の寺院である。