陸奥 関山 中尊寺 | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

イメージ 1①金色堂覆堂

イメージ 2②経蔵

イメージ 3③旧覆堂と芭蕉像

イメージ 4④本堂

イメージ 5⑤不動堂

イメージ 6⑥弁慶堂

 

訪問日:2017年8月

 

所在地:岩手県西磐井郡

 

 文治5年(1189)奥州藤原氏は滅亡し、平泉は奥州総奉行・葛西清重の所領となったが、中尊寺は鳥羽法皇御願の寺として源頼朝の庇護を受けて存続した。

 

 金色堂は当初屋外に建っていたが、やがて風雨から守る施設が造られ、正応元年(1288)には鎌倉幕府7代将軍・惟康親王の命令で金色堂を完全に覆う覆堂が初めて造られた。

 

 建武4年(1337)には中尊寺が大火災に見舞われるが、金色堂は類焼を免れたという。室町時代半ばに現在は移築されている旧覆堂に更新されたと思われる。

 

 天正18年(1590)奥州仕置きを終えた豊臣秀吉は中尊寺の秘宝である金銀字一切経・金字一切経(中尊寺経)を持ち去り、現在は高野山金剛峰寺に4,297巻(うち国宝4,296巻)、河内観心寺に216巻(重文)などの所有となり、中尊寺には2,739巻(全て国宝)が残っている。

 

 江戸時代には平泉は伊達藩領となり、伊達氏は中尊寺を保護し、堂宇の補修・修理を行った。寛文5年(1665)江戸寛永寺の末寺となり明治維新を迎えた。

 

 昭和40年(1965)旧覆堂を現在地に移し、新たに鉄筋コンクリート造りの覆堂が造られ、金色堂は温度・湿度がコントロールされたガラスケースに納められて現在に至っている。
 

 

以下、現地案内板より

 

中尊寺境内

 

 前九年合戦・後三年合戦の後、奥州藤原氏初代清衡公は、奥州世界の中心、関山丘陵に中尊寺の造営を始め、大伽藍を完成させました。「吾妻鏡」に記される堂塔四十余宇、禅坊三百余宇のうち、金色堂が現存するほか、発掘調査で平安後期(12世紀)の堂宇跡や、大池、三重の池などの園池跡が確認されています。
 境内は、周囲約5.4キロメートル、面積約134万平方メートルにおよびます。
 平安後期における奥州藤原氏の東北経営を考える上での重要な歴史的意義に鑑み、特別史跡に指定されています。

 

特別史跡 中尊寺境内 昭和54年5月22日

 

 

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