摂津 巨鰲山 海清寺 | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

イメージ 1①山門

イメージ 2②山門

イメージ 3③本堂

イメージ 4④大クス

 

訪問日:2015年10月

 

所在地:兵庫県西宮市

 

 臨済宗妙心寺派海清寺は妙心寺3世住持を務めた無因宗因(妙心寺三祖)が応永元年(1394)開山となり創建された。後に7世住持となる日峰宗舜(妙心寺四祖)が海清寺で宗因に師事している。

 

 応永6年(1399)将軍・足利義満に叛旗を翻した大内義弘と関係が深かった妙心寺6世・拙堂宗朴は義満の怒りを買い、寺領を没収され青蓮院に幽閉される。

 

 妙心寺は中絶して南禅寺住持であった義満の弟・廷用宗器の龍雲寺と名を変え、その寺領は没収され、龍雲寺や青蓮寺に与えられた。青蓮寺には応永10年(1403)義満の5男・義円(後の6代将軍・義教)が入室している。

 

 宗因は応永11年(1404)越前国人・波多野重通に請われて千本通松原に創建された退蔵院の開山となっている。応永17年(1410)海清寺で示寂。義満はすでに応永15年(1408)亡くなっていた。

 

 宗器は永享4年(1432)妙心寺開山・関山慧玄の流れを汲む根外宗利に慧玄の墓所・微笑塔の敷地を与え、宗利は宗因の示寂後、尾張犬山の瑞泉寺にあった宗舜を迎えて妙心寺を復興させた。

 

 妙心寺は応仁の乱で伽藍を焼失し、妙心寺9世・雪江宗深(妙心寺六祖)が勅命により復興しているが、この人も海清寺で住持を務めていた。

 

 

以下、現地案内板より

 

海清寺の文化財
 天然記念物  海清寺大クス 県指定 昭和41年3月22日
 絵画 絹本著色無因宗因画像 市指定 昭和55年3月11日
 建造物    海清寺三門  市指定 平成8年3月12日

 

 本寺は応永元年(1394)、高僧無因宗因により開かれた臨済宗の名刹である。開山の姿は、その肖像を描いた頂相の絹本著色無因宗因像に活写されている。
 かつて、街道より分かれた参道が取り付く寺南側に、本来の山門が今も残る。門は享保2年(1717)10月の上棟で赤門として親しまれている。また、境内には寺を開くにあたって植えられた伝承のある樹齢600年を越えるクスノキが、緑陰を落とす。

 

西宮市教育委員会