山城 正法山 妙心寺 | ゆめの跡に

ゆめの跡に

On the ruins of dreams

イメージ 1①勅使門

イメージ 2②南門

イメージ 3③三門

イメージ 4④仏殿と法堂

イメージ 5⑤庫裏

イメージ 6⑥大方丈

 

訪問日:2013年3月

 

所在地:京都市右京区

 

 富仁親王は永仁5年(1297)持明院統の伏見天皇の第4皇子として誕生した。延慶元年(1308)大覚寺統の後二条天皇が24歳で急死したのに伴い12歳で即位した(花園天皇)。皇太子には後二条天皇の異母弟で9歳年長の尊治親王(後醍醐天皇)が立てられた。

 

 在位中は伏見上皇のち兄・後伏見上皇が院政を布き、文保2年(1318)22歳で31歳の尊治親王に譲位した。両統迭立に従い、皇太子には甥で後伏見天皇の第3皇子・量仁親王(光厳天皇)が立てられた。

 

 花園上皇は量仁親王の養育にあたり、「誡太子書」や「学道之御記」を著し、親王を訓戒した。また、和歌に優れ、「風雅和歌集」の監修を務めている。

 

 後醍醐天皇の倒幕運動を横目で見ながら、花園上皇は禅宗に帰依し、建武2年(1335)に出家、暦応5年(興国3年・1342)に仁和寺の花園御所を寺に改めて妙心寺の開基となった。

 

 貞和4年(正平3年・1348)に52歳で崩御。奇しくも後醍醐天皇が亡くなったのと同年齢であった。