播磨 鹿野山 朝光寺 | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

イメージ 1①国宝本堂

イメージ 2②国宝本堂

イメージ 3③本堂と鐘楼

イメージ 4④仁王門

イメージ 5⑤多宝塔

イメージ 6⑥つくばねの滝

 

訪問日:2016年11月

 

所在地:兵庫県加東市

 

 朝光寺は寿永3年(1185)一の谷の前哨戦に位置づけられる源義経が平資盛らを破った古戦場・三草山の麓に建つ。文治5年(1189)裏山の権現山から現在地に移転された。

 

 応永20年(1413)本堂が再建され、京都・三十三間堂の十一面千手千眼観世音菩薩像のうち1体を本尊として安置し、正長元年(1428)に屋根の瓦葺きが完成したという。

 

 永正元年(1504)から永正17年(1520)にかけては播磨守護・赤松義村が伽藍を修復したとの記録が残る。また、多宝塔は慶長6年(1601)姫路城主・池田輝政の寄進による再建である。

 

 

以下、現地案内板より

 

国宝 朝光寺本堂(昭和29年3月20日指定 付厨子一基 嵌板三枚)

 

 朝光寺は、法道仙人の創立と伝え、もとは裏の権現山にあったが、平安末期文治5年(1189)に現在地に移したという。
 桁行7間梁間7間単層寄棟造本瓦葺、堂々たる本堂である。和様を基調として、扉の桟唐戸や組物中備の双斗など唐様を取り入れた密教寺院の折衷様式の典型ともいうべき貴重な遺構である。
 現建物について直接の資料は欠くが、厨子の嵌板には室町初期応永年間の仏壇造営記録銘等があり、本堂の様式手法も同時代に一致すると見られている。正面向拝は、文政12年の後補である。
 旧法の特別保護建造物であったために、昭和10年から3ヶ年に亘り解体修理が行われた。
 所蔵遺品には、鎌倉・室町期の銘を有するものが多く文化財の宝庫である。