近江 膳所城 | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

イメージ 1①天守跡

イメージ 2②本丸

イメージ 3③二の丸

イメージ 4④膳所神社移築門

イメージ 5⑤碗倉•十六体地蔵堂

イメージ 6⑥藩家老村松屋敷

 

訪問日:2006年8月

 

所在地:滋賀県大津市

 

 石川忠総は天正10年(1582)徳川氏家臣・大久保忠隣の次男として生まれた。慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの後に家康の命で外祖父・石川家成の養子となり、慶長14年(1609)家成の死去に伴い美濃大垣城5万石を相続した。

 

 慶長19年(1614)実父・忠隣の改易に連座して駿河に蟄居を命じられるが、同年に大坂冬の陣が勃発すると赦されて従軍して功を挙げた。

 

 夏の陣でも活躍し、元和2年(1616)1万石を加増されて豊後日田へ移封され、さらに寛永10年(1633)には下総佐倉7万石、そして翌年には近江膳所に移封された。

 

 親交のある小堀政一(遠州)の指導を受けて茶器焼物の振興に力を注ぎ、膳所焼は遠州七窯の一つとして評判となった。

 

 慶安3年(1651)忠総は69歳で死去、嫡孫・憲之が家督を相続した。翌年に憲之が伊勢亀山に移封されると膳所焼は徐々に衰退していった。